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2024/11/21 (Thu)
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2012/07/25 (Wed)
 言いかけたところで扉が開いた。
 足音は聞えなかった。
 戸を叩く音もなかった。
 それは突然開かれた。
 ふたりは扉に目を向けた。
 入ってきたのは最初に出会った青年だ。
 紫がかった黒髪と、紫闇の瞳。
 ルヴィアは立ち上がって近づく。
 青年はルヴィアに視線を合わせ、唐突に口を開いた。
「セレイアが呼んでいる」
「わかった。……この子はルシェイド。こいつはセイラスだ。無理はさせるなよ」
 簡単に名前だけ紹介して、ルヴィアは書類を手に部屋を出て行った。
 去り際に釘を刺され、肩をすくめながらセイラスが来る。
 ルヴィアが座っていた椅子に腰掛けると、暫くの逡巡の後に口を開いた。
「……ルシェイドと、いうのか」
 確かめるように言われ、反射的に頷いた後に首をかしげた。
「……多分……」
「……?」
 訝しげな顔。
「何処から来たのか言えるか?」
 問いに首を左右に振る。
「ならば此処が何処だか分かるか?」
 もう一度首を振る。
 何もかも分からない。
 全ては闇の中。
 ただ、正さなければならないという想いが強い。
 何を正すのか、どうすれば良いのか。
 そういうものは何一つわからないのだけれど。
「記憶がないのか……」
 顎に手を当てて考え込むと、不意に立ち上がる。
「少し待て」
 言い捨てて出て行ってしまう。
 止める間もない。
 止めたところで何を言えば良いのか分からなかったけど。
 どうして記憶がないのだろうと考えてみても、答えは出なかったし、何も思い出せなかった。
 最初の記憶は暗い部屋。
 と、不意に思い出した。
 暗闇の中、響いていた声を。
 ルヴィアの声ではない。
 セイラスの声でもない。
 一度だけ顔を見た、女性の声でもない。
 見た覚えのない、聞き覚えのある声。
 何と言っていたか。
 とてもとても強く、唯一つを願う声だった。
 最後に叫んだ、『彼女』の名前は――。
2012/07/25 (Wed)
 そこまで考えたところで扉が開いた。
 セイラスは、何かの紙を持って戻ってきた。
 何も言わずに寝台の上に広げる。
 それはどうやら地図のようだった。
 真ん中と、左右に大陸があって、小さな島がいくつかあるようだ。
「見たことは?」
 返事は否。
「地理は、分かるか?」
 もう一度同じ答え。
 セイラスは特に表情を変えずに地図の一点を指した。
 それは真ん中の大陸の、中心よりやや右下の位置だった。
「此処が、今居る場所。王都ロスウェル」
「……王都?」
「今、この現界を治める王が居る都だ」
 きっぱりと断言する声は、少し誇らしげな響きがあった。
 相変わらず表情はあまり変わらなかったが。
「大陸は、昔は4つあったらしいが、今は3つだ。ユーディリス大陸と、トゥーディス大陸、ヴァイサーシアー大陸」
 左、右、真ん中の順で指差す。
 聞き覚えがあるような気がする。
 実際に行った事があるのかもしれない。
「4つ目の大陸は、何処にあったの?」
 不意に聞くと、セイラスは少し考えて、地図の上を指した。
「この辺りにあったと聞く。今はもう地図も残っていないから、名前も一部にしか伝わっていない」
 ヴァイサーシアー大陸の、上。
 地図から消された島。
「レイヴァント大陸、という名前だったそうだ」
 どくん、と一瞬心臓が大きく脈打った。
 知らない場所のはずだ。
 古い大陸だから。
 なのに何故。
 こんなにも懐かしい気がするのだろう。
「……講義はこれまでにしよう。これは此処に置いておくから、後で見るといい。今はまた暫く眠れ」
 寝台に開かれた地図を畳むと、枕もとの机に置く。
「眠くない」
「駄目だ。寝転がっているだけでも、体力は回復する。……焦らなくて良い」
 肩を押されて寝台に寝ながら、少し不満そうに地図に目をやる。
「また次に、教えてやる」
 不承不承、といった感じで素直に布団を肩まで上げ、目を閉じる。
 衣擦れの音がして、扉が開閉する音が聞えた。
 眠気は暫くして訪れた。
2012/09/07 (Fri)
 扉を開くと、そこには見慣れた姿があった。
 漆黒の髪。
 滑らかな肢体をドレスに包んだ彼女は、入ってきたルヴィアに気付くと椅子から立ち上がった。
「セレイア。何かあったのか?」
 呼びかけると、彼女は深刻な顔をして告げた。
「西の境に配置しておいた兵のところで、小規模の戦闘が2度起きたと報告が来てるわ」
「2度? この間の報告から3日経ってないぞ」
 驚愕の声をあげつつ、セレイアが差し出した報告書に目を通す。
 戦闘の規模、動員した兵の数、損傷程度、その他諸々が書いてある。
「……」
 被害の欄を見て、表情を険しくする。
 例え小規模の戦闘だったとしても、被害は大きい。
「……全兵数の、約半分か」
「治療者の数が足りないの。……この状態で更に戦闘を続けさせるなら、全滅することも考えないといけないでしょう」
「だけど、撤退するわけにはいかない」
 強い意志をこめて断言する。
 例え勝ち目が薄くても。
「分かってるわ。けれど、最悪の状態も常に考えておかないといけないのよ」
 セレイアが諭すように首を振る。
 一つ頷くと、ルヴィアは窓の外に視線を向けた。
 そこには、戦争とはかけ離れたのどかな風景が広がっていた。



 気持ちが悪い。

 軽い吐き気と、身体の倦怠感で意識が目覚める。
 胃の辺りが重い。
 寝ていられなくて身を起こすと、眩暈に襲われた。
 深呼吸をして掛け布をどかす。
 ひんやりとした石の床に足を下ろすと、少し気分が良くなった気がした。
 まだ少し痛む身体を引きずって、扉まで歩く。
 前回よりは息が切れていない。
 扉を開ける。
 そこは部屋と同じような石でできた廊下だった。
 頬に少し冷たい風が当たる。
 何処から風が入ってくるのか、それは外の匂いがした。
 風の吹くほうに足を向けた。
 廊下の所々には、蝋燭が灯っているので躓く心配がなさそうだ。
 少し歩くと、階段が見えた。
 だいぶ息が切れていたのでそこで少し休む。

「……ルシェイド?」

 声はいきなり振ってきたように感じた。
 見上げると、明かりを背にして誰かが立っていた。
 逆光で顔は見えない。
 けれど声で判断はついた。
「……セイラス?」
「何をやっている。こんな所で」
 怪訝そうな声には心配も含まれているようだ。
 体重を感じさせない猫の様な動きで近くまで下りてくると、傍らに膝をついた。
「寝ていろと、言っただろう」
 手を差し出し、抱えていこうとするのを拒否し、ルシェイドは首を振った。
「何故だ?」
 問う声は感情があまり入っていない分、冷徹に響いた。
 怯えたように更に首を振るルシェイドを見て、セイラスはため息をついた。
「……理由が、あるのか?」
 上手い言い方が見つからなかったらしく、先程と同様の質問を繰り返す。
 けれど理由が上手く説明できず、ただもう一度首を振った。
 気持ちの悪さはかなり酷くなっている。
 座っているだけなのに息は切れ、手足が細かく震えている。
 さぞ、具合が悪く見えるだろうと何処か客観的に見ていると、頭上で靴音がした。
2012/10/19 (Fri)
 階段の上に、更に人影が入ってきたところだった。
「何をしているの?」
 聞えた声は今まで聞いたことのない声だった。
「リィーナ」
 セイラスが呟く。
 足音を立てて降りてくる彼女は、裾の長いローブを纏い、手に長い杖を持っていた。
「……大丈夫?」
「……ッ!」
 そっと、リィーナが頬に手を触れると、バチッと衝撃が走った。
 彼女は驚いたように目を見開くと、おもむろに杖で床を叩き、低く何かを呟いた。
 途端、周囲を風が舞った。
 セイラスが心持ち眉をひそめる。
 気持ちの悪さが少し減ったような気がして、ルシェイドは改めてリィーナに視線を合わせた。
「少しは楽になった?」
 こくり、と頷くとリィーナが微笑む。
「どういうことだ?」
 怪訝そうにセイラスが問う。
「感受性が強いようだから、魔法の気にあてられたのね。最近は相手も魔法師を投入したみたいだから、中和させないと辛いわよ」
「今までは大丈夫だったようだが?」
「本人にもよるのよ。魔法の素質があるようだし」
 そう言ってリィーナが片目を瞑って笑った。
「それで、こんな所で何してるの?」
 首をかしげて問われ、更にセイラスからも視線で促されてルシェイドが答えを探す。
「……気持ちが、悪かったから、風のあるほうに……」
「なら、もうあの部屋じゃないほうが良いわね。ルヴィアに言ってくるわ。あとよろしくね、セイラス」
 さらりと言って踵を返し、階段を上がっていく。
 ルシェイドは訳が分からず、答えを求めてセイラスを見上げた。
 苦虫を噛み潰したような顔で、セイラスは返事をせずにルシェイドを抱えあげた。
 驚きに身を強張らせると、ぼそりと呟かれた。
「部屋を変える」
 どうやらこの状態で運ばれるらしい。
「……歩ける」
「大人しくしてろ」
 小声で抗議するも、一蹴されてしまう。
 仕方なく、そのまま運ばれた。
2012/10/19 (Fri)
 頬に柔らかな風を感じて、ルシェイドは薄く目を開けた。
 静かな場所だったけれど、明るい光に満ちた空間だと思った。
 風が流れていくのがわかる。
 前に居たところに比べて此処はいろいろなものが活発に動いている気配がしていた。
 ゆっくりと身体を起こす。
 壁の一つは大きく窓が取られ、外の鮮やかな青空が見渡せる。
 それをぼんやりと眺めて、体重をかけた際に走った痛みに僅かに顔を顰めた。
 白い包帯はいたる所に巻いてあったが、最初に比べると痛みは殆ど引いていた。
 困惑したように腕の包帯を見下ろし、ベッドから滑り降りる。
 扉に視線を向けたところで、それが音も無く開いた。
 紫がかった黒髪を風に靡かせながら、セイラスが部屋に入ってくる。
「……寝ていろと言ったはずだが」
 ベッドの脇に佇んでいるルシェイドを一瞥して、セイラスが低く言う。
 ルシェイドは困ったように首を傾げた。
「もう、平気」
 言って、セイラスの傍まで歩いてみせる。
 眉間にしわを寄せたその表情が苛立たしげに見えて、ルシェイドは不安そうに彼を見上げた。
 セイラスは溜め息をつくと、ルシェイドと視線を合わせた。
「歩けるのか」
 問われて、反射的に頷く。
「わかった。そんなに寝ているのが嫌ならついて来い」
 言い放つと踵を返し、部屋を後にする。
 ルシェイドは慌てて彼を追って部屋を出た。
 身長はセイラスの胸の辺りまでしかない。
 ぶつからないように気をつけて、セイラスの横を歩く。
 半ば小走りになっているのに気づいたのか、セイラスが何も言わず歩調を緩めた。

 まともに廊下を歩いたのはこれが初めてだ。
 前回はセイラスに担がれていたし、意識もあまりはっきりしていなかったので記憶に無かった。
 見たところ建物自体がロの字型をしていて、中央が庭園になっているようだった。
 庭に面した方は壁ではなく柱が林立している。
 そのおかげで廊下は光が溢れていた。
 思わず見とれていると、ついてこないのに気づいたのかセイラスが立ち止まって振り返った。
 さっさと来いと怒られるかと思ったが、彼は特に何も言わず、ルシェイドが追いつくのを待っていてくれた。
 追いついたところで、賑やかな声が聞こえて視線をまた中庭に向ける。
 そこにはリィーナがいた。
 周りにいるのはリィーナよりさらに背の低い、少年たちだ。
 彼女が空中に手を翳すとそこから炎が生まれ、少年たちの間を飛びまわる。
 興味深そうに凝視したままのルシェイドを見て、セイラスは中庭に向けて声を上げた。
「リィーナ!」
 彼女はその声に振り向くと少年たちに何か言い、セイラスたちの方に駆けてきた。
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