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2012/02/05 (Sun)
 むしろどうでもいい事とか。
 そういう事だけはやけにはっきり覚えているものだと思う。

 蔑むような目でこちらを見下ろしてくるあの可笑しな顔が。
 赤く染まったことでさえ昨日のよう。
 もうすでにそのことで何を思うわけではないのだけれど。

 それでも。
 ほんの。
 少しでも。
 この心に何かが残っていたとしたら。

 後悔などしなかったかもしれないと思いながら。
2012/02/05 (Sun)
 依頼があった。

 大陸中央の王都ロスウェルにいる現王の継承者を。

『消去』

 すること。


 ――暗殺。


 それが、自分の仕事だ。




 この仕事に誇りを持ったことも無い。

 ただ、気がつけばそうなっていただけのことだった。
2012/02/05 (Sun)
「酒星!」

 声に呼ばれて振り返る。
 今の自分はこの名前で呼ばれていた。
 称号のようなそれは本名ではない。

「これから仕事?」

 目の前に歩いてきたのは、この島にある唯一の町、シンズィスに居着いた薬師の薄氷。
 腰まで届く黒髪と、深海のような深い青の目をもつ。
 ユーディリス大陸の方で標準的な色合いだが、本人に確かめたことは無く、また本人も何も言わないので本当のところどうなのかは知らない。
 まぁここではどうでもいいことだろう。
 細い身体に、寒さのためか薄い青の上着を何枚かかけていた。
 薄氷は手に持っていた袋を目の前に掲げると、それを左右に振ってみた。
「これ、新しく調合できたんだけど、試してみる?」
「いえ、怖いんでよしときますヨ。アタシはまだ死にたくないですからね」
 軽く笑って流す。薄氷は残念そうに呟いて、袋を見た。
「死にはしないと思うんだけどな……」
 か弱そうな外見だが、彼が作るのはほとんど毒薬だ。
 反対に治療薬は作れないらしい。

「……おまえ、また新しいの作ったのかよ」
 げんなりとした声を発して、またひとり近づいてきた。

 日に明るい茶色の髪と、赤に近い茶の目をしている。
 踏青という名で通っているが、やはり本名ではないそうだ。
 以前はトゥーディス大陸にいたと聞く。
 彼もこの街に居着いた薬師だ。
 薄氷と違って治療薬専門だが。

「平気だろ。どうせ何か作っても踏青が解毒できるし」
「その俺の苦労を考えろッ!」
「何で考えなくちゃならないんだ」
 びしりと指を突きつけて叫ぶが、薄氷は冷笑でもって答えただけだった。

「まぁまぁ。お二方、その辺でよいじゃありませんか」
 苦笑して間に入るが、このふたり、決して仲が悪いわけではない。
「それじゃァ、アタシはもう行きますんで」

「おう、気をつけてな!」
「土産、よろしく」

 元気に片手を挙げる踏青と、にやりと含み笑いをする薄氷に見送られて、船着場に向かう。
 定時に出る船に乗って、ヴァイサーシアーの大陸に渡るのだ。
 島国であるこの島では、船が無いとどこにも行けない。
2012/02/05 (Sun)
「あれ、酒星、仕事?」
 船着場で忙しく指示していた少女が振り向いて片手を挙げる。
「そうですヨ。この船、ヴァイサーシアー行きですよね。ちょっと乗せてもらおうと思って」
「そう。……しかし不便だよね。船使わなきゃでらんないんだもん」
「東旭サン、そんな事言うもんじゃありませんヨ。その船のおかげで生活できるやつだっているんですから」

 そう言って船着場を見回す。
 現在そこにいる船は3艘だけだった。
 ここには確かあと5艘くらいはあったはずだ。

「皆は仕事ですかい?」
「うん。何か大きな船が通るからってさッ!」
 伸びをして笑う。
 出て行った船はほとんどが大きなやつでどうやら「仕事」らしい。
 この島は他の船の荷を奪うという海賊行為をよくしている。
 それは島の収入源のひとつでもあった。

 この少女は東旭といって、その海賊たちを束ねる統領のような者だ。
 小さいながらなかなか要領がよく、またムードメーカーとしてもがんばっている。
「そういえば姐さんの姿が見えませんね」
「船についてったよ。今回はあたしには合わないだろって」
「そうですか」
 うんと言って、東旭は海を眺める。
 潮風が吹いて髪を、額に巻いたバンダナをなびかせる。
「あと少しで出航だよ」
「この船ですか?」
「あたしはついていけないけど、気をつけて」

「ありがとうございます」
 細い目をさらに細めて東旭に笑いかけ、船に乗り込む。

 乗り込んでしばらくしてから、船が動き始めた。
 波の揺れがダイレクトに伝わるほどの小さな船だが、5人乗っても結構スペースはある。
 遠ざかっていく東旭の小さな白い手が見え、それもやがて見えなくなった。
2012/02/05 (Sun)
 この船はこのままヴァイサーシアー大陸の、ヴェリィサという港町に行く。
 そこから馬か何か使えば、2週間ほどでロスウェルにつくはずだ。

 物思いに沈んでいると、船が大きく揺れた。
 どうやら波が高くなってきたようだ。
「酒星、もしかしたらヴェリィサに着かないかも知れねぇぞ」
「どうしてです?」
「あれ、見てみろよ」
 話し掛けてきたのは船に乗っている他の4人のうちのひとりで、額に大きな傷のある親父だ。
 シンズィスでは酒場を切り盛りしている。

 指差したのは大陸の方。
 薄暗くなっている。
「嵐、起こりますかねェ?」
「いやな予感がするな」
 顔をしかめて彼は他の仲間のところに行く。

「嵐……ね……」

 呟いて、黒い雲の方を見る。


 瞬間、雷が落ちた。
 突然の落雷に船が大胆に揺れる。

 同時に雨が降り出した。
 先が見えない程の豪雨。
 船員たちはみな振り落とされまいと船の縁にしがみついている。
 何かを言い合っているが、風と雨の音が大きいためよく聞き取れない。
 唐突に始まった嵐に、船員のほとんどがうろたえてしまっている。
 そのとき誰かが叫んで、ひとつの方向を指差した。
 皆がそちらを見る。

 一瞬、壁かと思った。
 それほどの大きな波だった。

 小さな船は何の抵抗も無く飲み込まれた。
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