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2012/02/05 (Sun)
「何だよ」
「あの子を、救ってやってくれないか」
 苦しげに目を閉じる。

 アィルは困惑したように問い返した。
「どうやって。俺が、……俺なんかが、どうやってあいつを救うことができるんだよ!」

 ここに来るまでは自分でも何か役に立てるだろうかと。
 思っていたのに。
 実際は、無力だと思う。
 自分には魔法は使えない。
 どうしてヴィオルウスがふたりいたのかも、この変貌もわからないのに。
(俺は)
 何も
(俺には)
 わからない。

(何の力もないんだ!)

「そんなことないよ」

 柔らかな声に思わず顔を上げる。
「君は、あの子が選んだ子だから」
 微笑んで言われた言葉に、けれど顔を背けてしまう。
 するとヴィオルウスの倒れている姿が目に入ってきた。
 どうすれば。
「……きみが見た幻影。暗い影のヴィオルウスを起こすことができれば、あの子は元に戻れるんだよ」
 ルシェイドが口を挟む。
「元、に……?」
 怪訝そうにアィルが呟く。
「今のヴィオルウスは影。裏の……そうだな、人格だといっていいかもしれない。その影に、飲み込まれてしまっているんだよ。だから……」
「だから、そこから連れ出せって言うのか? やり方もわからないのに!」
 半分、自棄になって吐き捨てる。
 と、それまでほとんど喋らなかったディリクが口を開いた。
「……それを、教えるわけにはいかない。けれど、わかるはずだ。おまえなら」

「わかんねぇ……わかんねぇよ! 何で俺なんだ! おまえらは……」

 言いかけて、はっと息を呑む。
 3人の目に悲しみがよぎったのが見えてしまったから。
「……ディリクじゃ無理だし、僕がやろうとすれば壊してしまう」
 どこか口惜しそうに。
 ルシェイドはヴィオルウスに視線を向けて答えた。
 一歩前に出て、グラディウスがアィルに近づく。
「……あのね、俺は、ヴィオルウスの父親なんだ。だから、こうなってしまった時に救おうとしたんだよ……けど、拒絶されちゃったんだ」
 泣き笑いの表情でグラディウスが言う。
「仕方なかったのかもしれないけど、これ以上失敗するともう救えなくなるかもしれないから……だから、……だから」
「……わかったよ。でも、……どうすれば良いんだ?」
 うなだれて言うと、ディリクが手を差し出した。
「これを……おまえに預ける。必ず返せ」

 それは綺麗な宝石だった。
 青い澄んだ色の。

「あとは、ヴィオルウスに、触れればいい。今の状態なら無防備だから……」
 ルシェイドはアィルの腕を掴んで囁くように言った。
「……頼んだよ」
 無言で肯定の意味を示し頷くと、ヴィオルウスの方に一歩近づく。

 緊張しているのが自分でもわかる。
 ヴィオルウスの傍らに膝をつき、手を触れた。

 光が弾ける。


 世界が回った気がした。
2012/02/05 (Sun)
 波の弾ける音がする。

(ここは)

 きらきらと踊る光が眩しくて、薄く目を開ける。
 空が見える。
 砂の上に寝転んでいたらしい。
(俺は)
 勢いよく身を起こす。

 信じられない気持ちのまままわりを見回す。
 けれどどんなに目を凝らしても、目の前にある海は消せなかった。
 小さい頃、よく連れてきてもらった。
 村よりずっと南にある小さな浜辺。

(こんなはずは)

 人気のないその浜辺で、アィルはひとりたたずんでいた。


「   」


 ふと呼ばれた気がして視線を泳がせる。
 視線の先、海の中。
 鮮やかな青色の海に腰のあたりまで浸かって、人が立っていた。

 襟足で縛った金の髪。
 日に当たって輝いて見える。

 あれは。
(そんな)
 見覚えのある、見間違いのないようなその姿。
(はずは)
 足がすくんで動かない。
 確かめたいのに、足が拒否する。
(ないのに――)
 その影はふとこちらに気づいたかのようにゆっくりと振り返る。

 現われたその顔。
 それは。

「レヴィアール!」

 走り出す。
 その自覚のないままその影に向かって駆け寄る。
 その影はこちらを認めるとゆっくりと微笑み、迎えるように両の手を広げた。
2012/02/05 (Sun)
 差し伸べられた手にすがるように触れたとたん、それはまるで溶け崩れるようにアィルの手の中で砕けた。
 呆然と、水に塗れた自分の手を見る。
 腰まで浸かった水が急に形を変えてアィルを飲み込む。
 手を無我夢中で振るが、逃げる間もあればこそ、すぐに水中深く飲み込まれた。

『さよなら』

 蒼い水の中。
 太陽が水の向こうに見えている。
 その前、太陽を阻むようにして見える人影が。

『貴方は、もういらないの』

 囁くような声。
 聞いたことがある。
 自分は知っている。
 その、声を――。

「あ」

 振り上げた『彼女』の手に光るナイフも。
 その頬を伝う涙も。

「ああ」

『だって』

 すべて。
 自分が、見てきたことだから。

『彼はもう居ないのだもの』

「ぁああああ――――!!」

 絶叫が起こる。
 海の、水の中のはずなのに。

 引きつるような悲鳴はあたりを暗く染めていく。
 振り上げられた手はおろされることなく、一言、低く呟いた彼女は
『ごめんね』
 そのナイフをもった手を
『いらないのは』
 自分におろした。
『私のほうね――』
 胸に赤い薔薇が咲く。

 暗く染まった闇を払拭するように広がる、その赤い色はじわりと肌に吸い込まれるようにまとわりついてくる。

 きつく目を閉じて耳を塞ぐ。

『彼女』の断末魔を聞かないように。
 聞こえないように。

 閉じた瞼から涙が一筋流れ落ちる。
2012/02/05 (Sun)
「おまえが、見せてんのか……?」
 暗い部屋。
 アィルはそこに蹲っていた。

「ヴィオルウス……!」
 振り返る。

 暗闇に浮かび上がるかのようなその色。
 淡い青銀の髪。
 同じような薄い青の衣を身にまとって、ヴィオルウスはアィルより少し離れたところに立っていた。

「そうだよ……私が見せているんだ」
 囁き声。
 ともすれば聞き落としそうなほどに小さい。

「……なんでだ? こんなもの……俺に見せて、どうしようってんだよ?」
「おまえは、何でそう私にかまうんだ? 放っておいた方が楽だろうに」
 こちらの問いかけには答えず、ただ静かに問い掛けてくる。
「何故だ?」
「……知るかよ。放っておけたらそれは楽だろうけど、そうできないんだから、しょうがないだろ……!」
 半ば吐き捨てるように、まだ涙の乾かない瞳でヴィオルウスを見つめる。
「何故? 何故放っておけないんだ? ……私にはそれがわからない」
 かすんで表情は見えない。

 アィルは一歩前に踏み出した。
 とたん、怖じ気たようにヴィオルウスが一歩下がる。

「何で逃げるんだ?」
「……近寄らないでくれ。……私は自分が制御できない。おまえを殺してしまう」
「殺したければ殺せばいいだろ」
「簡単に言うな! その所為で、どんなに苦しんでいるのか……」
 目を伏せて吐き捨てる。
 ヴィオルウスは近寄ろうとするアィルから一定の距離を保ったまま、こちらを睨みつける。
「何で苦しんでるんだ?」
「今言っただろう!」
「逃げてるだけじゃねぇか。そんなんじゃいつまでたっても苦しいままだ」
 ヴィオルウスが怯んだのがわかる。
 顔を伏せてしまったので表情がわかりづらい。

「顔を上げろ。ヴィオルウス」
 決然と。
 そしてゆっくりと近づいていく。
 顔を伏せているヴィオルウスには、こちらが近づいているのがわからないらしい。

「……嫌だ。これ以上……誰かを殺すのは嫌なんだ――!」
 肩が震えている。
 そっと、本当にそっと手を触れただけなのに、ヴィオルウスは驚いて一歩下がろうとした。
 その肩を掴む。
「……ッ!」
 風が周囲を切り裂く。
 アィルは思わず腕で目を庇う。
 肩で荒い息を吐きながら、ヴィオルウスはアィルと距離を取る。
「何で、逃げるんだよ……」

「……殺したくない。でも、自分が死ぬのも嫌なんだ――」
2012/02/05 (Sun)
 ヴィオルウスは身を翻して闇の奥に消えた。
 それを追って走る。

 長い、長い時間走っているような気がしていた。
 時間の感覚さえ狂うほどの深い闇の中。
 けれど誰かがいる感覚はあった。
「ヴィオルウス……」
(起こさないで)
 かすかに聞こえた声に顔を上げる。
(もう見たくない)
 声は反響いているかのようにいろいろなところから聞こえてくる。
(見ていたくない)
 場所が特定できない。
(だからどうか)
「ヴィオルウス! どこだ!」

(起こさないで)

 一瞬見えた幻影。
 赤い、赤黒い、モノの上に立つ銀青色の髪の人影。
 あれは。

 にやりと。
 笑ったのが、見えた気がした。


「今のは……おまえの過去か」
 なんとなく、そうだと心が答えた。
 はじめて見た。
 あんなにも残酷な光景は。

 けれど。
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