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2012/02/11 (Sat)
 ふと青年が肩越しに振り返った。

「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。……私はウェンラーディルといいます。どうぞ、ウェル、と」
「オレはレインていうの。そんでルベアと、オルカーン」
 後を追いかけながらレインが応える。
 一行は町の中心に向かっているようだった。
「この中ってあったかいね。でも雪は通るんだ」
 空を見ながら言うレインに、ウェルが笑う。
「家の中はもっと暖かいですよ。積雪量も外よりは少ないんです」
「へぇ。どうやってるの?」
 ウェルは困ったように首を傾げた。
「説明するのは……少し、難しいですね」
「全部魔法なの?」
「えぇ。造形を使った複合魔法ですから、この町自体が魔法といえるかもしれません」
 レインが驚いたように周囲を見回す。
「でもこの町結構大きいよ? これ全部?」
 何故か嬉しそうに、ウェルが笑って頷く。
「随分大掛かりなんだなー」
 二人の話を聞いていたオルカーンが声を上げる。
「見た目が大きいだけですよ。魔法を使うものにとっては仕掛けは単純だと思います」
 言って、ウェルは足を止めた。

 其処は町の中心のようだった。

 一際大きな家が、目の前に建っている。
 同心円状に建ち並ぶ家々の、ほぼ中心にあたるようだ。
「まずは長に会ってもらいます。……お客様ですから」
 笑んで建物の扉に目を向けると、不意に扉が開いた。

「……ん?」
 扉を内側から開けた人物は、こちらを見て訝しげに眉をひそめた。
「やぁ、ラナ」
「……ウェル。誰だ、そいつら?」
 にこやかなウェルと対照的に不機嫌そうな顔をしたその人。

「……同じ顔?」
 思わず声が漏れた。
 二人は表情を除けば殆ど違いは無かった。
 ただ、瞳の色が違うだけだ。
 ウェルが深い青色に対し、このラナという青年は鮮やかな緑色をしている。
「……あぁ。そういやリィが呼んでたぜ。いつものところにいるって」
 肩越しに背後を指差し、そのまま立ち去ろうとするラナへ、ウェルが声を掛けた。
「ラナ! 何処へ?」
「見回り」
 短い返事と共に、その姿が掻き消えた。
「わ、消えたよ?」
「えぇ、ですが町の何処かには居るでしょう」
 動じることなく、ウェルは改めて扉を大きく引き開けた。

「さぁ、どうぞ」
 ほんの僅かの躊躇いを振り切って一歩中に踏み込む。 中に入って直ぐ、空気の違いに気づいた。
「わ、あったかい」
 隣でレインが声を洩らす。
 中は驚くほど暖かかった。
 外が雪であることが信じられないくらいの。
 暖炉のような暖房とは少し違う。
 暑すぎず、寒すぎない、丁度良い温度だ。
「これも、魔法、か?」
 皮肉な思いを込めてウェルへと尋ねる。
 彼は笑みをほんの少し深くすると、頷いて答えた。
「殆どの事柄が、ここでは魔法でできているんですよ」
 当たり前の事だ、というウェルの態度に、ルベアは微かに眉をひそめる。

 成る程此処では当たり前の事だろう。
 例え他の町で見かけないことだとしても。
 そもそも魔法を使える人間のほうが少ない。
 だからこそ、此処まで大規模に魔法を使っていることに違和感がある。
 そんな不信な感情を読み取ったのか、ウェルは苦笑すると、扉を閉めて奥へと促した。
2012/02/11 (Sat)
 家の中は、空気は暖かいのに人影がまるで無い為にどこか寒々しかった。

「何で誰も居ないの?」
 レインがずばり聞く。
 たまにレインの直球な無神経さが羨ましくなる。
 ルベアは眉をひそめつつも、疑問に思ったことではあったので黙ってウェルの回答を待った。
「……此処は、長の家であると同時に集会場であり、儀式の場でもあるからですよ」
「……つまり?」
 緩く尾を振りながら、オルカーンが問う。
「此処は神聖な場所と考えられていますから、長しか居ないんですよ」
 どこか淋しそうな笑みを浮かべて、ウェルは視線を落とす。

 家の中は暖かい。
 所々に明り取りの為であろう、蝋燭の炎が揺れていたが、中はまだ薄暗い。
 人気がない所為もあるだろうが。
「一人なんだ?」
 レインのこの問いには、ウェルはただ黙って笑うだけだった。
 長の家にしてはあまり広いとも言えない廊下を進んで居ると、ウェルが不意に立ち止まった。
 何事かとウェルを見ると、彼は戸惑うように前方の薄闇を見つめていた。
「どうし――」

「ウェル」

 問いかけようとした途端小さく響いた声に、ルベアは勢いよく振り返った。
 左手は既に剣の柄にかかっている。
 其処に居たのは、先程家の前で会った青年だった。
 ウェルはラナの姿を認めると、微かに頷いて近くの扉を開けた。
「申し訳ありませんが、暫くこちらでお待ち頂けますか?」
「いいけど、何かあったの?」
 不思議そうに、レインが首を傾げる。
「いえ、用意が出来ましたらお呼びしますので」
 笑いながら、ウェルは皆が入ったのを確認して扉を閉めた。

 ルベアは遠ざかる足音を聞きながら、どうしたのだろうと振り返る。
 一瞥した部屋の中はごく普通の応接室のようだった。
 だが、振り返ったルベアは目を見開いた。
 部屋がおかしかったわけではない。

「……どうした、レイン?」
「……え?」

 きょとんとして問い返すレインの、顔色が酷く悪かった。
 普段も白いほうだが、今は白を通り越して土気色に近い。

「空気が重い。押し潰されそうだ」
 応えたのはオルカーンだ。
 頭と尻尾を垂れて、息苦しそうだ。

 扉に手をかける。
 どうしたのか、聞きたかった。

 だが。
 開かない。

 どんなに押しても引いても、びくともしない。
 閉じ込められた。
「何が……」
 二人とも苦しそうなのに、自分は何とも無い。
「んー、ちょっと息苦しい、かなぁ?」
 レインが間の抜けた声を出す。
 きょろ、と部屋を見渡すと、ソファに深く座る。
「この方が楽ー」
 言って目を閉じた。
 その隣に、オルカーンが身体を丸めて横たわった。
 ひょい、と顔を上げて、まだ扉の前に居るルベアに視線を投げる。
「落ち着けよ。俺達は強い魔法の力に当てられてるだけだ。発生源が何とかなれば問題ないよ」
 ルベアは今一度、扉のほうに視線を送り、大人しくソファへと向かった。
2012/02/11 (Sat)
「いつもみたいに飛ばないのか?」
 急ぎ足で隣を行くラナに、ちらりと視線を投げながらウェルが問う。
「……行けねぇよ。知ってんだろ? 今のあいつの近くに飛ぶなんて、自殺行為だ」
「そうだな」
 不貞腐れたようにそっぽを向く彼に苦笑する。

 不意に、ラナが視線を上げた。
 歩調が緩まり、やがて足を止める。
 数歩先に行ってから、ウェルが振り返って問うた。

「ラナ?」
「何かいる」

 短く答えると、ラナは前方に視線を向けたまま走り出した。
「一体誰が……」
「分からねぇ。ただ、唐突に現れやがった。……リィの所に」
 付け足された最後の言葉に、ウェルが顔を強張らせた。
「……そんなことが出来るのは……」

「!」
 二人は同時に顔を見合わせた。

 一人の人物が思い至ったのと、先程から感じていた圧迫感が消えたからだ。
 ラナが無言で残り僅かの距離を走り、扉に手をかける。
 彼の開いた扉へ、ウェルが飛び込んだ。

「やぁ。思ったより遅かったね」

 部屋の中央には、こちらを振り返って微笑む人影があった。
 金色の瞳が、面白そうに細められている。
 その向うには白いシーツのかかったベッドがあり、白い髪の人物が横たわっていた。

「リィ……」
 ラナが呻く。
 その横で、ウェルはベッドの人物を見る。
 横たわったまま動きはない。
 顔色の悪さに血の気が引くが、胸の辺りが僅かに上下しているのを見て取って安堵の息をつく。
「そんなに睨まなくても、彼は無事だよ」
 す、と手を伸ばし、ベッドの人物の額に当てる。

 それを見てラナが怒鳴った。
「リィに触るなッ!」
 勢いのまま傍に走り、リィを抱き寄せる。
 その侵入者の手から、護るように。
「相変わらず君は僕が嫌いなようだね、ラナ?」
「……ルシェイド、何故、此処に?」
 ラナの怒りが強まったのを感じて、ウェルが半ば慌てて注意を引く。
「うん? あぁ、ちょうどね、近くに来てたんだけど、リィに呼ばれたから来てみたんだよ」
 彼は苦笑して、リィに視線を戻した。
 それに呼応するようにリィがぼんやりと目を開く。
 薄い水色の瞳が緩く瞬きを繰り返す。

「……ラナ?」
 自分を捕まえている腕を見て、小さく呟いた。
 それから正面に立つ人物に、笑顔を向ける。
「お目覚めかな? リィ、呼ぶのは良いけれど、全力で呼ばなくても聞こえるから、今度からは加減するようにね」
「ルシェイド」
 リィはラナの腕から抜け出すと、ルシェイドに向かって手を差し伸べた。
「ん? ……やれやれ。仕様が無い子だな」
 苦笑して、ルシェイドがリィを抱き上げる。
 リィの体格は、ウェル達より少し小さい。
 だが、ルシェイドの体格はリィと大差ない。
 自分と同じくらいのリィを抱き上げながら、激しく睨みつけるラナと心配そうに見ているウェルへと視線を移す。
「心配しなくても落としたりしないよ。……それより、お客さんが来ているみたいだけど?」
 指摘すると、ウェルがはっとしてリィに視線を送る。

「客室に案内しているんだ。巻き込まれないように鍵を掛けてきたんだけど……」
 ルシェイドが無言でウェルを指差す。
 正確には、ウェルの背後を。
 驚いて振り返ると、其処には客人が居た。

「えと、タイミング悪かった……?」
 恐る恐る、レインが声をかける。
「扉は……鍵がかかっていたはずです」
 ウェルが呆然と呟く。
「え、押したら開いたよ?」
 きょとんとして答えるレインの後ろから、ルベアが顔を覗かせた。
「俺が試した時は開かなかったんだがな」
「まぁ気分も良くなったし、行ってみようってことで」
 尻尾を揺らしながら、オルカーンが付け足した。

「まぁ良いんじゃない? 遅かれ早かれ挨拶させに来させたんでしょ?」
 のんびりとルシェイドが言う。
 ウェルは困ったように一堂を見渡し、最後にラナと視線を合わせた。
 不機嫌そうな顔で、ラナが立ち上がる。
2012/02/11 (Sat)
「……出来れば、こちらの準備が整ってから来て欲しかったところですが」
 言って二人はリィの傍に寄ると、それぞれの手を取った。

「リィゼンセディア」

 二人の声が重なる。

 ルシェイドがゆっくりとリィを降ろす。
 二人に手を取られてリィは立ち上がり、そして目を開いた。
 薄い水色の瞳が、ルベア達を捉えて微笑む。
 並んで見るとよくわかるが、三人とも酷く似ていた。
 違うのは雰囲気と瞳の色だけのようだ。

「ようこそ、イーアリーサへ。僕がこの町の長をしています、リィゼンセディアといいます」
 先程ルシェイドに抱えられていた時と違う、凛とした表情と声だった。
 ルシェイドが回りを見渡してから言う。
「僕も居ていいかい?」
「良いですよ」
 ウェルが答え、リィが微笑む。
 対照的に、ラナは渋い顔だ。
「ではこちらへどうぞ」
 全員を隣室へと誘う。
 ほんの少しリィがふらついたが、それは直ぐ横にいたラナが支えた。
 皆の後について隣室へ入る。
 其処は淡い光に照らされた応接室のようだった。
 中央にテーブルとソファが有り、壁際では暖炉が据えられている。
 火は灯っていない。
 と思っていたら、不意に音を立てて火がついた。
 ぱちぱちと、木の爆ぜる音が聞こえる。

 各々がソファに座ると、リィが口火を切った。
「さて、皆さんが此処にきた目的ですが、……シェンディルに会いたい、ということでしたね?」
 ルベアがレインとオルカーンを一瞥し、頷く。
 リィは少しの間躊躇った後、レインに視線を合わせて言った。
「残念ながら、シェンディルは居ません」
「え」
「何故だ」
 驚くレインの横でルベアが低く問う。
「彼女は今聖山に居ます」
 きっぱりと。
 言い切られた言葉に驚いた顔をしたのはルベア達だ。
「……聖山?」
「まさか……」
 小声で囁き交わす言葉の端を捉え、リィが不思議そうに首を傾げた。
 町に居るはずの者が聖山に居ると聞かされて驚いているのかと思ったが、どうやら少し違うらしい。

「……あぁ、そういやディリクが何か言ってたけど、それで驚いてるのかな?」
 何気なく、という感じでルシェイドが言うと、レインが明らかに顔を強張らせた。
「……珍しく忙しそうだったから、手伝おうかと思ったら材料調達を頼んだって話を聞いてね。その関係かなと思ったんだけど……当たりのようだね」
 苦笑して皆の顔を見渡す。
 ルベアの刺すような視線が痛い。

「彼女が聖山に行った事に、ルシェイドは関係ありませんよ」
 見かねたのか、ウェルが口を挟む。
「別に、死んでるわけじゃないんだろ?」
 苦味の混じる声でオルカーンが問う。
 ウェル達は驚いたように顔を見合わせた。
「いえ、死んではいません。ただ、用事があって出かけているだけですよ」
「それなら、良い」
 そう言って、オルカーンは顔を伏せた。
2012/02/11 (Sat)
 躊躇いがちな沈黙を破ったのはレインだった。
「その人っていつ帰ってくるの?」
 少しの逡巡の後、リィが言う。
「暫くは戻らない、と言っていました。この間出かけたばかりですから、あと2月は帰ってこないと思います」

「じゃあ行こうよ」

「は?」
 唐突に手を打ったレインに、全員が怪訝そうな顔をする。
「聖山に」
 レインはそんな皆の様子にも構わず、ルベアへと告げた。
「そうだなぁ……。どうせ行くんだし、良いんじゃないか?」
 のんびりとオルカーンが同意した。
「じゃあ向うで合流するわけだね。……リィ、彼女が帰ってくる時は君に連絡が来るんだったよね?」
「えぇ、その手筈になってます」
 リィが頷くと、ルシェイドは何処か楽しそうに懐から何かを取り出した。
「それじゃ、レインにはこれを貸してあげよう」
 差し出したレインの手に、小さな指輪が落とされた。

 銀色の、細い指輪だ。

「これは?」
 指輪を眺めながらレインが聞く。
「シェンディルからリィへの伝達を感知する魔法を組み込んだから、彼女が帰りの連絡をしたら分かるようになってるよ」
「……いつの間に」
 ぼそり、とラナが呟いた。
「用事が終わったらディリクに返しておいてくれれば良いから」


「……何故、こいつの名前を知ってる?」

 不意に、警戒も露わにルベアが言葉を遮った。
 その言葉に、一番きょとんとしているのは当事者であるレインだ。
「俺たちは一度もお前の前でこいつの名前を言ってないはずだ。何故知っている?」
「……もしかして、オレのこと知ってるの?」
 ほんの少しの期待を込めた目でレインがルシェイドを見る。
「んー、と」
 ルシェイドは腕組みをして逡巡した後、苦笑しながら頷いた。
「まぁ、知ってはいるよ」
「本当に?」
「うん。でも、教えてあげることは出来ないよ」
 あからさまにがっかりした様子のレインに、ルシェイドが困ったように笑う。

「どうして? 教えてくれないの?」
「教えてあげたいけれど、それは僕には出来ないんだ。君が心から望み、君に関係ある者がそれを許さなければ、僕は手を貸すことは出来ない」
「そういう約束?」
「まぁ、そうだね」
 リィの問いに、ルシェイドが曖昧に頷いて返す。
「オレ、記憶戻したいって思ってるよ」
 腑に落ちない、という表情でレインが言う。
「うん。でも、その気持ちはそんなに強くない。今のままでも良いと、何処かで思ってはいないかな?」
 レインが考え込むように視線を伏せる。
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