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2012/03/07 (Wed)
「自分で行けば早いんじゃないの?」
 オルカーンが食い下がる。
 其処ではじめて、ディリクが僅かに表情を変えた。
 呆れたような表情だったが。
「毒の進行が食い止められるのか? シェンディルの魔法は進行を遅くするだけだ。私が薬草を取りに行っていたのでは間に合わない」
 部屋に僅かに沈黙が落ちた。
 誰も動かない。
 ルベアは、ひたとディリクを見た。
 その色違いの目を。
「これがあれば、治せるのか」
「あぁ」
 答えは簡潔だった。
 迷いや不安は微塵も感じない。
「分かった。行ってこよう」
 ディリクはルベアに一つ頷いてみせると、オルカーンに視線を移した。
「お前も行ってくると良い。此処にいてもやることは無いぞ」
 突然振られ、オルカーンが躊躇いがちに声を出した。
「でも、俺……」
「何か問題があるのか?」
 そういえば驚かないな、と思いつつ、理由を察したルベアがオルカーンの額の布を取り去った。
 現れた三つ目の目を見ても、ディリクは何の反応もしなかった。
「何か問題があるのか?」
 ディリクはルベアとオルカーンに視線を向け、繰り返した。
「え……と」
 見慣れない反応に、オルカーンの方が戸惑ってしまう。
「……俺はこんな姿だから、人目につくと騒ぎになるんだ」
「魔獣であることを気にしているのならば問題は無い。あの村の連中はそんなことでいちいち騒がない」
 きっぱりと断言された。
 騒がないとはどんな村なんだろうとルベアは少し興味を持った。
「……あんたも驚かないな」
「知り合いに同じ種類の魔獣がいる。状況もわかっている。驚くには値しない」
 抑揚のあまり少ない口調で答えたディリクに、オルカーンが身を強張らせる。
「知り合い……がいるの、か? 同じ種類の魔獣と!?」
「そうだ」
「そいつの色は!」
「毛並みが黒、目が緑だ」
 勢い込んで尋ねるオルカーンにほんの少し目を細めながら、それでも律儀に答えていく。
「そいつの、名前とかは?」
「アレンだ」
 名を答えた途端、オルカーンがその場に伏せた。
 長いため息が漏れる。
「そっか……」
「……もう良いか? ならば早く行ってきてくれ」
 そう言って、ディリクは部屋の隅に置いてある幾つかの箱を取り、レインの傍らに膝をついた。
「アレンのことを教えてくれないか?」
 ディリクは作業の手を止めて顔を上げると、オルカーンを見て言った。
「戻ったらな」
「……分かった」
 渋々、といったふうにオルカーンが頷く。
 傍らに置いた箱から砂のようなものを取り出し、不規則な模様を描いていく。
 それを見ていると、不意にディリクが見ているのに気づいた。
「アィルという人物に会え。それを渡せば用意してくれるだろう」
 ディリクの言葉に頷き、ルベアはオルカーンとともに部屋を後にした。
2012/03/13 (Tue)
 路地を出ると明るさに目が痛んだ。
「シオンの村ってどのくらい?」
 額に布を巻きなおしたオルカーンが、目を瞬かせながら聞いてきた。
「此処から南東へ2日程だな」
 半ば上の空で答え、オルカーンを見下ろす。
「馬車があるか聞いてみるか?」
「え、……いや、うーん……まぁ良いけど……」
 歯切れの悪い返事をすると、ルベアは通りを東へ向かった。
 大抵馬車があるのは通りの終わりに近いところだ。
 町外れまで行くと、小さな荷馬車の近くにいる二人組みが見えた。
 少し足早にそちらへ向かう。
 近くへ行くと、一人が振り返った。
 薄い茶色の髪を肩の辺りまで伸ばした女性だ。
 その動きで気づいたのか、もう一人もこちらを見る。
 金の髪を襟足で束ねている。
 長さは此処からだと分からないが、雰囲気から男性か。
「こんにちは」
 女性のほうがにこやかに挨拶をしてきた。
 それに返しながら、話し掛ける。
「これは何処へ行くんだ?」
「シオンの村よ」
 その答えに、ルベアとオルカーンが顔を見合わせる。
「乗せて行ってくれないだろうか?」
 今度は彼女らが顔を見合わせた。
 青年が静かに頷き、それを見て女性が微笑んだ。
「もう少しで最後の荷が届くの。それからでも良いかしら?」
 ルベアが頷く。
「あたしはアリア。こっちはレーウィスよ。貴方方は?」
「ルベア。と、オルカーンだ」
「貴方魔獣なのね」
 笑顔で言われ、オルカーンが身体を強張らせた。
 くすくす笑って、アリアが言った。
「そんなに警戒しなくても、何もしないわ。貴方が何かする気なら、別だけれど」
 最後だけ少し声を低めて。
 オルカーンが思わず、といったふうに半歩後ずさる。
「……アリア。初対面の方で遊ばないように、と再三言っているはずですが?」
 アリアは、はぁいと返事をして視線を通りに投げた。
「あ、荷が来たみたいだわ。受け取ってくるわね」
「すみません。騒がしくて」
 走っていくアリアを見ながら、どことなく諦めたような表情を浮かべて、レーウィスが謝罪した。
「いや……」
 程なく戻ってきた彼女は、両手にひとつずつ大きな籠を持っていた。
「手伝おう」
 ルベアが籠の一つを取ると、アリアはきょとんとしてからありがとう、と笑った。
「レーウィスは力仕事向かないのよね」
「貴方は馬の扱いに長けてないでしょう」
 しれっとしてレーウィスが言い返す。
2012/03/13 (Tue)
「さぁ、乗ってください。早ければ明日には着きますよ」
 促され、ルベアとオルカーン、アリアは荷台に乗り込んだ。
 レーウィスは御者台に座り、全員が乗り込んだのを確認して、馬を前に進ませた。
 町が遠ざかり、建物の影が朧にしか見えなくなった頃、アリアは突然オルカーンの布を取り去った。
「此処まで来たらもう平気よ。これつけてるのって窮屈でしょ?」
「あんたも驚かないんだな」
 思わず言ってしまってから、あ、とオルカーンが耳を寝かせる。
 アリアはきょとんとして、首を傾げた。
「も? 他に誰か居たの?」
「ディリクが」
 ルベアは反射的に答え、アリアも知り合いが居るのかと思った。
 魔獣の中で、人語を解すものは多くはないからだ。
 ルベアの答えに納得したようにアリアは数回頷いた。
「そうねー。彼なら驚かないわね」
「知り合いが居るといっていた。貴方にもいるのか?」
 アリアは思わぬことを言われた、という顔をして、うーんと唸った。
「あたしは知り合いじゃないけど……レーウィス知ってる?」
 御者台の彼は前方を見たまま答えた。
「私も知り合いではないですが……。城に一人いると聞きましたよ。貴方のほうが詳しいでしょう、アリア?」
 その会話に、ルベアは内心首を傾げた。
 城といえば王都だが、魔獣が居ると聞いた覚えはない。
 それとも何処か人目につかない場所に居るのだろうか。
 アリアは暫く額に指を当て目を瞑っていたが、不意に開くと怪訝そうに聞いた。
「貴方、アレンって知ってる?」
 ルベアとオルカーンは目を見開いて互いに顔を見合わせた。
「アレン?」
 御者台からレーウィスが怪訝そうに問いかける。
「城に入った魔獣族っていったら彼しか覚えがないもの」
「城ってまさか……魔界城?」
 恐る恐る、といった口調でオルカーンが聞く。
 ルベアには馴染みのない名前だ。
 アリアは視線を戻すと、何でもないことのように頷いた。
「じゃああんたたちは魔族なのか?」
「そうよ。……そんなに珍しいかしら?」
「おい、さっきから何の話だ」
 少し険悪になりかけた雰囲気を遮って、ルベアが怪訝そうに問う。
 オルカーンはこちらを見ると少し首を傾げた。
「言わなかったっけ? 魔界に人族は入れないんだって」
「……あぁ、だから魔族ってことになるのか。ところでそのアレンってやつはお前の何だ」
「ということはやっぱり知り合いなのね!」
 二人から視線を浴びて、オルカーンはぺたりと耳を伏せた。
「あー……友達だよ。施設に居たとき一緒だったんだ」
 何故か歯切れの悪い言い方だ。
「……南の施設?」
 僅かに眉をひそめて問われ、オルカーンが頷く。
「そいつが、探してるやつか」
「うん……まぁ、会えたら良いんだけど。とりあえず無事みたいだからそれでも良いかなぁとも思うよ」
「魔界に行けば会えるわよ」
 あっさりとアリアが言う。
 オルカーンが一度、尻尾を振った。
「そうできれば手っ取り早いんだけど。俺は移動の手段がないんだよ」
2012/03/13 (Tue)
「アリア」
 何か言いかけたアリアを遮って、レーウィスが声をかけた。
 何、と言いかけて目を眇める。
「ちょっと行ってくるわね」
 言い置いて、ひらりと馬車から飛び降りる。
 視界から消えた。
 馬車から出たからではない。
 馬車の横にも、後ろにも影は見えなかった。
「何かあったのか?」
 移動したのか、と思い御者台へと問いを投げる。
「あぁ、前方に魔獣の群れがいるようですので、アリアに散らしに行かせたんですよ」
「女の子一人に!?」
 勢いよく立ち上がって、オルカーンが驚愕の声を上げた。
 だが、レーウィスは軽やかに笑いながら言った。
「大丈夫ですよ。あの程度ならアリア一人で十分です」
「でも……」
「手に負えないような相手なら私が出たほうが早いんですが……彼女は馬を扱うのが下手ですので」
 それでも女性一人で、と思い口を開こうとすると、不意にレーウィスが前方を指した。
「ほら、片付いたようですよ」
 示された先に目を凝らす。
 遠く木々の間に、茶色の髪が見えた。
 向うはこちらに気づいたのか、大きく手を振っている。
 無事な姿にほっとした途端、目の前の荷台にアリアが現れた。
「……大丈夫か」
 驚きを押し隠して尋ねると、アリアは驚いた顔をしてから破顔した。
「ありがとう。でもあのくらいならあたし一人でも大丈夫よ」
「強いんだな」
 妙に感心したようにオルカーンが呟く。
「レーウィスの方がまだ強いんだけどね。……そうだ」
 ふと真面目な顔になって手を叩く。
「魔界に行きたいのならヴィオルウスに頼むと良いわよ。ディリクも良いけど、……何を要求されるか分からないしね」
「誰だ?」
 聞き覚えのない名前だ。
 村の人だろうかと思いながら聞いてみる。
「今はアィルの家にいるわ。見れば直ぐ分かるはずよ」
 ルベアとオルカーンはまたも顔を見合わせた。
「……何か都合よくない?」
「……そうだな」
「何の話?」
 きょとんとアリアが首を傾げた。
「いや……今まで全く手がかりがなかったのに、今は芋づる式にどんどん繋がっていくのが何かね……釈然としないというか」
「探してるつもりで全く近くに居なかったんじゃない?」
 あっさりとアリアが言い切った。
「うーん……そうなのかなぁ。でもレインが倒れてからだよね。いろいろ情報が入るのって」
「レイン?」
 アリアが聞き返す。
 見れば先程とは違い、真剣な面差しだ。
 心なしかその表情が硬い。
「知っているのか?」
「さぁ。知らないわ」
 何気なく聞いた問いだった。
 だが、アリアは硬い声でそれ以上の詮索を拒絶した。
 知っているようではあるが、教えてくれそうな雰囲気ではない。
 視線を下に下げて、アリアが気後れした様子で問う。
「その人、倒れたって言ってたけど、大丈夫なの?」
 ルベアは虚を突かれながらも、何とか表情に出さないように答えた。
「あぁ。その為に、シオンに行くんだ」
「そう……」
 何処かほっとしたような口調に、やはり知り合いなのだろうかと考える。
 けれど、知っていることを隠さねばならないような何かがあるのだろうか。
 取りとめもなくそんなことを考えながら、視線を外に向ける。
 馬車は順調に進んでいた。
 この分なら、遅くとも今日中にはつけるかもしれない。
2012/03/14 (Wed)
 村に着いたのは、日も暮れてからだった。
 予想していたよりは早い。
 うつらうつらしていたオルカーンを起こし、アリアとレーウィスに礼を言う。
 そのついでに宿を聞くと、無いと言われた。
「小さな村だもの。商売にならないのよ」
 苦笑と共に言われ、ルベアは村を見回した。
 所々に明かりが灯っているが、人の気配はあまりない。
 ぽつりぽつりと家が並び、窓から僅かに漏れる明かり以外の場所は闇が深い。
「アィルの処に行くんでしょう? それなら行ってみなさいな」
「しかし……」
 時刻はすでに深夜に近い。
 普通の人間ならまず寝ている時間だ。
「大丈夫よ。結構遅くまで起きてるもの」
 そういう問題ではないのだが、オルカーンに促すように視線を向けられ、ルベアは行ってみることにした。
「この道を真っ直ぐ行って、左側よ。結構大きい家だから、分かりやすいと思うわ」
 そう言って、アリアはレーウィスと共に村へ入っていった。
 直ぐに曲がり、視界から消えてしまう。
 遠ざかる音を聞きながら、ルベアは溜め息と共に言った。
「……行くか」
 そして二人は村へと足を踏み入れた。

 言われた通りに道を歩くが、人の気配の少なさに首を傾げる。
「随分少ない村だな」
「んー……」
 オルカーンが不思議そうな声を出して答えた。
「……どうした?」
「何か、変な気配が多い。此処って本当に人族の村?」
 ルベアは怪訝そうにオルカーンを見、次いで村を見回した。
「俺には良く分からないな」
「さっきの二人も魔族だった。この村は純粋な人族が少ないのかも……」
 そう言われてみても、ルベアにはその差は分からない。
 注意深く村の気配を探ってみるが、やはり判別は難しい。
 そうやって進んでいるうちに、道は直ぐに終わりになった。
「あれ?」
「此処じゃないか?」
 首を傾げながら周りを見回すオルカーンに、ルベアが傍らを指し示す。
 示された先の建物は、小さ目の宿屋の大きさだ。
 今通ってきた道の脇に建っていた建物より、かなり大きい。
「……これ、一般家屋?」
 不思議そうに、半ば呆然とした口調でオルカーンが問う。
「とりあえず行ってみよう」
 問いには答えず、ルベアはその建物へと歩を進めた。
 特に躊躇うことなく扉を叩く。
 暫く待つが中からは何の反応もなかったので再度叩く。
 今度は少し強めに。
 がたん、と中の何処かで音がした。
 そのまま待つと、軽めの足音が聞こえ、それから扉が開かれた。
「はい?」
 現れたのは、黒髪に緑の目の少年だった。
 ルベアより頭一つ分ほど背が低い。
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