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2012/04/17 (Tue)
「あの時この町は大規模な砂嵐に飲まれるはずだった。君の兄は彼自身と引換に、砂嵐を鎮めて去った。……そのまま終われば、僕はここに来る必要がなかった。意味がわかるかい?」
 混乱したまま、食い入るようにルシェイドを見つめる。
 ルシェイドは目を細めて言い放った。
「君が余計なことをしなければ、この町は滅びずに済んだのに」
「私……が……?」

「歌姫なんてこの世界に……この町に、存在しないはずだった。吟遊詩人ではない、歌姫。――君に話が来ているだろう。隣国から」

 ぎくり、と体を強張らせる。
 隣国からの話は、レゼリナーダに対するものだった。
 素晴らしい歌声だと。
 その声を王がご所望なのだと。
 だから、自分たちのために歌え、と。
 それも、両隣の国から。
「君はどうするんだい?」
 聞かれなくても、答えは出ていなかった。
 どちらにも行きたくはない。
 けれど。
「君がどちらに行っても、此処に留まっても、結果は変わらない。彼らは君を手に入れるために互いに攻撃を仕掛けるだろう。君が此処に留まれば、この町が最初の標的だ。君の帰る場所を奪うために。君の寄る辺がなくなるように」
 歌うようにルシェイドが言う。
 残酷な現実を。
「逃れるすべは」
「無いよ」
 あっさりとした返答に、視線を落とす。
「君が姿を眩ませば、君を探すためにこの町は蹂躙される。別の町に逃げても追ってくるだろう。君を巡って、殺し合いが起きるんだ」
「どうしたら……良いんですか……! 私はただ、歌を歌っていただけなのに……」

 居もしない兄を探しているのだと、気が触れてしまったのだと敬遠されながら、彼女に残されたのはただ歌だけだった。
 歌を歌えば、周りの皆は彼女に優しかった。
 諍いを起こしていた人も、彼女の歌を聞いてくれた。
 歌を歌っていれば、嫌なことも忘れられた。
 ただ、それだけだったのに。

 ふぅ、とルシェイドがため息をつく。
「……まぁ、こういう事態になるのは僕も予想外だったし、そもそもあの人達の尻拭いなんだけど」
 嫌そうに吐き捨てた後、ルシェイドがレゼリナーダを見据える。
 強い、射ぬくような視線で。
「君に選択肢をあげよう。どちらかの国について、片方を滅ぼすか、両隣の国を滅ぼすか、この町を含めて全て滅びるか、……それとも、歌を捨てるか」
「歌を……捨てる?」
「そう。君の、その歌声は僕らが魔法と呼ぶものを含んでいる。だから、強い影響力がある。その歌声を捨てるなら、人死が最小限になるよう、僕も努力するよ」
 苦笑と共に言われ、躊躇う。
「人が、死ぬんですか」
「うん。それは仕方ない」
 ルシェイドが頷く。
「でも、君の目はもう見えなくなることはないから、できることは増えるはずだよ」
「目を……どうして」
「君があの時……マルヴェーリが去る時に居合わせたのは予定外だった。だから、力の余波をまともに受けてしまったんだよ。でなければ僕も治せないからね」
 少女は顔を覆って俯く。
 いつもの暗闇が戻ってくる。
 けれど。
「……わかりました。歌えなくなるのは、辛いけれど……」
「歌えなくなるわけじゃないよ」
 搾り出すような声で言った言葉を、ルシェイドが否定する。
 はっとして顔を上げると、微笑みながらルシェイドが言った。
「君の歌は君のものだ。僕はただ、その歌から魔法を――……周りに対する影響力の元を、消すだけだからね」
 レゼリナーダは椅子に座ったまま、深く頭を下げる。
 膝の上で握りしめた手に、涙が一滴落ちるのが見えた。













「……こんなものかな」
 少女から魔力を落とし、隣国の強硬派を始末して、ルシェイドはため息を付いた。
 少女の歌は、魔力を抜きにしても素晴らしい歌声だ。
 けれど、争いのもとになるほどではない。
 これで、この砂漠の町は滅びることはないだろう。
 少なくとも、彼女が生きている間は。
「アルファルも大雑把だったからなぁ。もうちょっと考えてくれれば良いのに」
 今はいない彼に毒づく。
「何のフォローもしてないあたり、めんどくさかったからとか言いそう」
 ふ、と笑う。
 姿は知っていても、直接会ったことはない。
 お互いが、同じ時間には存在できないから。

 振り切るように顔を上げると、太陽の眩しさに目を細める。
「さて、久しぶりにシェセルディのところにでも戻ろうかな」
 言って、目を閉じる。
 砂の混じった風に押されるように、ルシェイドの姿はその場から消え失せた。
2012/04/20 (Fri)
――何故だ――

 遠い声。
 初めて聞いたような、聞き慣れたような。
 そんな曖昧な声が、何者をも見通せぬ闇の中で叫んでいた。

――何故だ。私の願いは唯一つだけ――

 哀願する響きは反響しながらも呑まれ、応える筈の者には届かない。

――他の何を引き換えにしても良い。唯その願いが叶うなら――

 声の主は周りに溶け込んでしまって見えない。
 どの位置に居るのか。
 それすらも判別出来ない程、声は他方から響く。

 何処に居るのだろう。
 声は酷く自分の心を揺さぶる。
 それに含まれる哀しみに、絶望に。
 呑み込まれそうになる。

――その為に喚んだ。だから――

 知らない声のはずなのに。

――だから、願いを叶えろ――

 違う。
 自分は、知っている筈だ。
 この声の。
 人物を――――。

――『      ッ!!』――













 血を吐くような叫びの余韻を残して、それきり声は途絶えた。
2012/06/13 (Wed)
 血を吐くような叫びの余韻を残して、それきり声は途絶えた。

 ふと目に入った暗色が、先程までと違う気がして首を巡らす。
 暗いことに変わりは無かったが、先程の翳した手すら見えぬ闇の中ではなかった。
 高い位置にわずかに空いた窓からの月光が降り注ぎ、周囲をうっすらと照らしている。
 周りにあるのは石の壁。
 まだ夢の続きのような気がして、ただぼんやりと視線を動かしていく。
 それが部屋の隅に行ったとき、ぎくりと体を強張らせた。
 誰も居ないと思っていた。
 闇に同化したかのように気配の無い人影。
 その人影は身動きをしたこちらに気づいたのか、ゆっくりと凭れていた壁から体を起こし、近づいてくる。
 足音は無い。
 ただ微かな衣擦れの音が聞こえるだけだ。
 傍らまで来ても表情は見えない。
 無音で手を伸ばされ、思わず身を引いた途端、全身に走った激痛に視界が一瞬白くなる。
 痛みを堪えながらも必死に人影を見ようと目を凝らしていると、彼は伸ばした手で何かを掴み、横を向いた。
 微かな水の音。
 再び伸ばされた後、額に冷たい感触があった。
 それでやっと、額から落とした布を水で冷やし、また乗せてくれたのだと分かった。
 濡れた布を押える様に軽く力をかけられる。
「まだ、眠れ」
 その低い声とひやりとした感触に、自然に体に入っていた力が抜けていく。
 瞼を閉ざすと、程なく意識は闇に沈んでいった。
2012/07/09 (Mon)
 瞼に光が踊る。
 眩しい。
 先程と違って廻りは酷く明るかった。
 ぼんやりと天井を見ていると、段々頭が冴えてくる。

 ふと、先程の人は誰だろうと思った。
 低い声と、ぼんやりと見えた手から男性であることは判ったが、それ以上は判然としなかった。
 視線を巡らせると、扉の横に置いた椅子に座っている人がいた。
 硬く目を閉じて腕組みをしている。
 寝ているのかもしれない。
 そのままじっと見ていたら唐突に目を開いた。
 切れ長の、紫闇の瞳。
 彼はこちらに視線を向けると、重さを感じさせない動作で立ち上がった。
 猫のようなしなやかさ。
 伸ばされた手。
 それを見て、ああ、さっきの人だ、とぼんやりと思った。
 腰に剣を刷いていることから、剣士だと思う。
 問いを発しようとして、身体の傷みに声を失う。
「無理はするな。……あれだけの傷。今生きているのが不思議なくらいだ」
 彼は表情の読めない顔で首筋に手を当てた。
 乾いた、暖かい手だった。
 手を離し、こちらの顔を一瞥して部屋を出て行く。

 部屋にひとり残され、じっとしているのも居心地が悪かったので起き上がろうとするが、手足は鉛のように重い。
 身体のあちこちでは鈍い痛みが感じられた。
 起き上がろうとして、止めた。
 今起き上がっても立ち上がれるかどうかわからない。
 そんな危険を冒す意味はあまり無いだろう。
 ひとつ息を吐いて天井を見つめているとまた眠気が襲ってきた。
 随分眠っていたように思うのに、まだ寝たりないのかととりとめも無く考えていると、外で足音が聞こえた気がした。
 程なくして扉が開く。
 入ってきたのは女性だった。
 身に纏うのは薄い色合いの服。
 ドレスに似ている。
 腰よりさらに長い黒髪を靡かせて、彼女はこちらに歩いてきた。
 後ろには先程出て行った青年が居る。
「目が覚めたのね。気分はどう?」
 鈴の音のような。
 きれいな声だ、とぼんやり思う。
「まだ眠いのかしら。……そうね、まだ眠っていた方が良いわ。安心して、ゆっくりお休みなさい」
 彼女は優しく笑いかけると、青年を促して部屋を出て行った。
 誰も居なくなった部屋で、意味もなくまた部屋を見回しながら、意識を手放していく。
 闇の中は、誰の声も聞こえなかった。
2012/07/18 (Wed)
 次に目が覚めたときは、前よりももっと意識がはっきりしていた。
 体はまだ痛かったが、起き上がれない程ではなくなっていた。
 まだ冷たさの残る布を額から取り、寝台から起き上がる。
 窓から見える空は暗い。
 床に下ろした足は裸足で、石は思ったよりも冷たかった。
 痛みと、重く感じる体を引きずって扉までたどり着く。

 短い距離。
 ほんの十歩位だ。
 なのに息が上がっている。
 扉のところで僅かに呼吸を整えて、扉を押し開けた。

「……!」
 目の前に青年がいた。
 片手に燭台を持っている。
 揺れる炎に照らされた顔は驚きと怪訝そうな表情をしていた。
 間近に見ると整った造作をしているのがわかった。
 印象的には鋭利な刃物のようだけれど。

 一歩を踏み出そうとしてバランスを崩す。
 倒れる、と思った次の瞬間には、青年の腕に抱きとめられていた。
 そのまま抱え上げられ、寝台まで戻される。
 布団をかけられ、また元のように寝かされた。
「まだ無理だ。寝ていろ」
 囁く様な声音。
 何か答えようと口を開け、言葉が何も出ないまままた眠りに落ちた。








「……彼は?」
 蝋燭の明かりだけの暗い廊下で、彼は小さく尋ねた。
「起きてきたから、寝かせた」
「……起きてきた? 寝台から?」
 淡々とした答えに、問う声は驚きの色を混ぜて問いを重ねる。
 肯定の意味でうなずき、問われた青年は次の言葉を待つ。

 彼はしばらく考えておもむろに髪をかきあげた。
「わかった。とりあえずお前は休めよ。ここしばらくまともに休んでないだろ」
 苦笑しながら言われた言葉に、青年は困惑して首をかしげた。
「ルヴィア、だが、此処の……」
「駄目だ」
 きっぱりと、反論を許さぬ口調で告げる。
「お前が倒れたら、元も子もないだろ。セイラス」
 セイラスと呼ばれた青年は唇を噛み締めて俯き、それを少し困ったような顔でルヴィアが見ている。
 僅かな逡巡の後、セイラスは詰めていた息とともに言葉を吐き出した。
「……わかった。言うとおりにしよう」
「あぁ。ちゃんと休めよ」
「わかってる」
 二人は言い合い別れ、後には静寂が残った。
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