小説用倉庫。
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――何故だ――
遠い声。
初めて聞いたような、聞き慣れたような。
そんな曖昧な声が、何者をも見通せぬ闇の中で叫んでいた。
――何故だ。私の願いは唯一つだけ――
哀願する響きは反響しながらも呑まれ、応える筈の者には届かない。
――他の何を引き換えにしても良い。唯その願いが叶うなら――
声の主は周りに溶け込んでしまって見えない。
どの位置に居るのか。
それすらも判別出来ない程、声は他方から響く。
何処に居るのだろう。
声は酷く自分の心を揺さぶる。
それに含まれる哀しみに、絶望に。
呑み込まれそうになる。
――その為に喚んだ。だから――
知らない声のはずなのに。
――だから、願いを叶えろ――
違う。
自分は、知っている筈だ。
この声の。
人物を――――。
――『 ッ!!』――
血を吐くような叫びの余韻を残して、それきり声は途絶えた。
遠い声。
初めて聞いたような、聞き慣れたような。
そんな曖昧な声が、何者をも見通せぬ闇の中で叫んでいた。
――何故だ。私の願いは唯一つだけ――
哀願する響きは反響しながらも呑まれ、応える筈の者には届かない。
――他の何を引き換えにしても良い。唯その願いが叶うなら――
声の主は周りに溶け込んでしまって見えない。
どの位置に居るのか。
それすらも判別出来ない程、声は他方から響く。
何処に居るのだろう。
声は酷く自分の心を揺さぶる。
それに含まれる哀しみに、絶望に。
呑み込まれそうになる。
――その為に喚んだ。だから――
知らない声のはずなのに。
――だから、願いを叶えろ――
違う。
自分は、知っている筈だ。
この声の。
人物を――――。
――『 ッ!!』――
血を吐くような叫びの余韻を残して、それきり声は途絶えた。
血を吐くような叫びの余韻を残して、それきり声は途絶えた。
ふと目に入った暗色が、先程までと違う気がして首を巡らす。
暗いことに変わりは無かったが、先程の翳した手すら見えぬ闇の中ではなかった。
高い位置にわずかに空いた窓からの月光が降り注ぎ、周囲をうっすらと照らしている。
周りにあるのは石の壁。
まだ夢の続きのような気がして、ただぼんやりと視線を動かしていく。
それが部屋の隅に行ったとき、ぎくりと体を強張らせた。
誰も居ないと思っていた。
闇に同化したかのように気配の無い人影。
その人影は身動きをしたこちらに気づいたのか、ゆっくりと凭れていた壁から体を起こし、近づいてくる。
足音は無い。
ただ微かな衣擦れの音が聞こえるだけだ。
傍らまで来ても表情は見えない。
無音で手を伸ばされ、思わず身を引いた途端、全身に走った激痛に視界が一瞬白くなる。
痛みを堪えながらも必死に人影を見ようと目を凝らしていると、彼は伸ばした手で何かを掴み、横を向いた。
微かな水の音。
再び伸ばされた後、額に冷たい感触があった。
それでやっと、額から落とした布を水で冷やし、また乗せてくれたのだと分かった。
濡れた布を押える様に軽く力をかけられる。
「まだ、眠れ」
その低い声とひやりとした感触に、自然に体に入っていた力が抜けていく。
瞼を閉ざすと、程なく意識は闇に沈んでいった。
ふと目に入った暗色が、先程までと違う気がして首を巡らす。
暗いことに変わりは無かったが、先程の翳した手すら見えぬ闇の中ではなかった。
高い位置にわずかに空いた窓からの月光が降り注ぎ、周囲をうっすらと照らしている。
周りにあるのは石の壁。
まだ夢の続きのような気がして、ただぼんやりと視線を動かしていく。
それが部屋の隅に行ったとき、ぎくりと体を強張らせた。
誰も居ないと思っていた。
闇に同化したかのように気配の無い人影。
その人影は身動きをしたこちらに気づいたのか、ゆっくりと凭れていた壁から体を起こし、近づいてくる。
足音は無い。
ただ微かな衣擦れの音が聞こえるだけだ。
傍らまで来ても表情は見えない。
無音で手を伸ばされ、思わず身を引いた途端、全身に走った激痛に視界が一瞬白くなる。
痛みを堪えながらも必死に人影を見ようと目を凝らしていると、彼は伸ばした手で何かを掴み、横を向いた。
微かな水の音。
再び伸ばされた後、額に冷たい感触があった。
それでやっと、額から落とした布を水で冷やし、また乗せてくれたのだと分かった。
濡れた布を押える様に軽く力をかけられる。
「まだ、眠れ」
その低い声とひやりとした感触に、自然に体に入っていた力が抜けていく。
瞼を閉ざすと、程なく意識は闇に沈んでいった。
瞼に光が踊る。
眩しい。
先程と違って廻りは酷く明るかった。
ぼんやりと天井を見ていると、段々頭が冴えてくる。
ふと、先程の人は誰だろうと思った。
低い声と、ぼんやりと見えた手から男性であることは判ったが、それ以上は判然としなかった。
視線を巡らせると、扉の横に置いた椅子に座っている人がいた。
硬く目を閉じて腕組みをしている。
寝ているのかもしれない。
そのままじっと見ていたら唐突に目を開いた。
切れ長の、紫闇の瞳。
彼はこちらに視線を向けると、重さを感じさせない動作で立ち上がった。
猫のようなしなやかさ。
伸ばされた手。
それを見て、ああ、さっきの人だ、とぼんやりと思った。
腰に剣を刷いていることから、剣士だと思う。
問いを発しようとして、身体の傷みに声を失う。
「無理はするな。……あれだけの傷。今生きているのが不思議なくらいだ」
彼は表情の読めない顔で首筋に手を当てた。
乾いた、暖かい手だった。
手を離し、こちらの顔を一瞥して部屋を出て行く。
部屋にひとり残され、じっとしているのも居心地が悪かったので起き上がろうとするが、手足は鉛のように重い。
身体のあちこちでは鈍い痛みが感じられた。
起き上がろうとして、止めた。
今起き上がっても立ち上がれるかどうかわからない。
そんな危険を冒す意味はあまり無いだろう。
ひとつ息を吐いて天井を見つめているとまた眠気が襲ってきた。
随分眠っていたように思うのに、まだ寝たりないのかととりとめも無く考えていると、外で足音が聞こえた気がした。
程なくして扉が開く。
入ってきたのは女性だった。
身に纏うのは薄い色合いの服。
ドレスに似ている。
腰よりさらに長い黒髪を靡かせて、彼女はこちらに歩いてきた。
後ろには先程出て行った青年が居る。
「目が覚めたのね。気分はどう?」
鈴の音のような。
きれいな声だ、とぼんやり思う。
「まだ眠いのかしら。……そうね、まだ眠っていた方が良いわ。安心して、ゆっくりお休みなさい」
彼女は優しく笑いかけると、青年を促して部屋を出て行った。
誰も居なくなった部屋で、意味もなくまた部屋を見回しながら、意識を手放していく。
闇の中は、誰の声も聞こえなかった。
眩しい。
先程と違って廻りは酷く明るかった。
ぼんやりと天井を見ていると、段々頭が冴えてくる。
ふと、先程の人は誰だろうと思った。
低い声と、ぼんやりと見えた手から男性であることは判ったが、それ以上は判然としなかった。
視線を巡らせると、扉の横に置いた椅子に座っている人がいた。
硬く目を閉じて腕組みをしている。
寝ているのかもしれない。
そのままじっと見ていたら唐突に目を開いた。
切れ長の、紫闇の瞳。
彼はこちらに視線を向けると、重さを感じさせない動作で立ち上がった。
猫のようなしなやかさ。
伸ばされた手。
それを見て、ああ、さっきの人だ、とぼんやりと思った。
腰に剣を刷いていることから、剣士だと思う。
問いを発しようとして、身体の傷みに声を失う。
「無理はするな。……あれだけの傷。今生きているのが不思議なくらいだ」
彼は表情の読めない顔で首筋に手を当てた。
乾いた、暖かい手だった。
手を離し、こちらの顔を一瞥して部屋を出て行く。
部屋にひとり残され、じっとしているのも居心地が悪かったので起き上がろうとするが、手足は鉛のように重い。
身体のあちこちでは鈍い痛みが感じられた。
起き上がろうとして、止めた。
今起き上がっても立ち上がれるかどうかわからない。
そんな危険を冒す意味はあまり無いだろう。
ひとつ息を吐いて天井を見つめているとまた眠気が襲ってきた。
随分眠っていたように思うのに、まだ寝たりないのかととりとめも無く考えていると、外で足音が聞こえた気がした。
程なくして扉が開く。
入ってきたのは女性だった。
身に纏うのは薄い色合いの服。
ドレスに似ている。
腰よりさらに長い黒髪を靡かせて、彼女はこちらに歩いてきた。
後ろには先程出て行った青年が居る。
「目が覚めたのね。気分はどう?」
鈴の音のような。
きれいな声だ、とぼんやり思う。
「まだ眠いのかしら。……そうね、まだ眠っていた方が良いわ。安心して、ゆっくりお休みなさい」
彼女は優しく笑いかけると、青年を促して部屋を出て行った。
誰も居なくなった部屋で、意味もなくまた部屋を見回しながら、意識を手放していく。
闇の中は、誰の声も聞こえなかった。
次に目が覚めたときは、前よりももっと意識がはっきりしていた。
体はまだ痛かったが、起き上がれない程ではなくなっていた。
まだ冷たさの残る布を額から取り、寝台から起き上がる。
窓から見える空は暗い。
床に下ろした足は裸足で、石は思ったよりも冷たかった。
痛みと、重く感じる体を引きずって扉までたどり着く。
短い距離。
ほんの十歩位だ。
なのに息が上がっている。
扉のところで僅かに呼吸を整えて、扉を押し開けた。
「……!」
目の前に青年がいた。
片手に燭台を持っている。
揺れる炎に照らされた顔は驚きと怪訝そうな表情をしていた。
間近に見ると整った造作をしているのがわかった。
印象的には鋭利な刃物のようだけれど。
一歩を踏み出そうとしてバランスを崩す。
倒れる、と思った次の瞬間には、青年の腕に抱きとめられていた。
そのまま抱え上げられ、寝台まで戻される。
布団をかけられ、また元のように寝かされた。
「まだ無理だ。寝ていろ」
囁く様な声音。
何か答えようと口を開け、言葉が何も出ないまままた眠りに落ちた。
「……彼は?」
蝋燭の明かりだけの暗い廊下で、彼は小さく尋ねた。
「起きてきたから、寝かせた」
「……起きてきた? 寝台から?」
淡々とした答えに、問う声は驚きの色を混ぜて問いを重ねる。
肯定の意味でうなずき、問われた青年は次の言葉を待つ。
彼はしばらく考えておもむろに髪をかきあげた。
「わかった。とりあえずお前は休めよ。ここしばらくまともに休んでないだろ」
苦笑しながら言われた言葉に、青年は困惑して首をかしげた。
「ルヴィア、だが、此処の……」
「駄目だ」
きっぱりと、反論を許さぬ口調で告げる。
「お前が倒れたら、元も子もないだろ。セイラス」
セイラスと呼ばれた青年は唇を噛み締めて俯き、それを少し困ったような顔でルヴィアが見ている。
僅かな逡巡の後、セイラスは詰めていた息とともに言葉を吐き出した。
「……わかった。言うとおりにしよう」
「あぁ。ちゃんと休めよ」
「わかってる」
二人は言い合い別れ、後には静寂が残った。
体はまだ痛かったが、起き上がれない程ではなくなっていた。
まだ冷たさの残る布を額から取り、寝台から起き上がる。
窓から見える空は暗い。
床に下ろした足は裸足で、石は思ったよりも冷たかった。
痛みと、重く感じる体を引きずって扉までたどり着く。
短い距離。
ほんの十歩位だ。
なのに息が上がっている。
扉のところで僅かに呼吸を整えて、扉を押し開けた。
「……!」
目の前に青年がいた。
片手に燭台を持っている。
揺れる炎に照らされた顔は驚きと怪訝そうな表情をしていた。
間近に見ると整った造作をしているのがわかった。
印象的には鋭利な刃物のようだけれど。
一歩を踏み出そうとしてバランスを崩す。
倒れる、と思った次の瞬間には、青年の腕に抱きとめられていた。
そのまま抱え上げられ、寝台まで戻される。
布団をかけられ、また元のように寝かされた。
「まだ無理だ。寝ていろ」
囁く様な声音。
何か答えようと口を開け、言葉が何も出ないまままた眠りに落ちた。
「……彼は?」
蝋燭の明かりだけの暗い廊下で、彼は小さく尋ねた。
「起きてきたから、寝かせた」
「……起きてきた? 寝台から?」
淡々とした答えに、問う声は驚きの色を混ぜて問いを重ねる。
肯定の意味でうなずき、問われた青年は次の言葉を待つ。
彼はしばらく考えておもむろに髪をかきあげた。
「わかった。とりあえずお前は休めよ。ここしばらくまともに休んでないだろ」
苦笑しながら言われた言葉に、青年は困惑して首をかしげた。
「ルヴィア、だが、此処の……」
「駄目だ」
きっぱりと、反論を許さぬ口調で告げる。
「お前が倒れたら、元も子もないだろ。セイラス」
セイラスと呼ばれた青年は唇を噛み締めて俯き、それを少し困ったような顔でルヴィアが見ている。
僅かな逡巡の後、セイラスは詰めていた息とともに言葉を吐き出した。
「……わかった。言うとおりにしよう」
「あぁ。ちゃんと休めよ」
「わかってる」
二人は言い合い別れ、後には静寂が残った。
次に目が覚めたとき、外は明るいようだった。
時間の感覚はすでに無い。
そこでふと、時間の数え方に疑問を持つ。
そもそも、此処はどこだろう。
疑問符に埋められた頭で周りを見ると、寝台の足元に近い所に青年がいた。
稲穂の様な金の髪は流れるように肩に落ち、紺色の衣服の上に光を落としている。
手には何かの書類。
真剣な表情で字面を追っている。
身を起こすと、彼はこちらに気付き、手に持った書類もそのままに立ち上がった。
「やぁ、起きた? と、まだ無理はしないほうが良い」
鈍く痛む胸に顔を顰めた途端、青年は気遣わしげに顔を歪めた。
問うように顔を向けると、手に持った書類を枕もとの机に置く。
「私の名前はルヴィア。君は北の草原で倒れている所を見つけてきたんだよ。……君の、名前は?」
「……ッ」
名前。
頭が一瞬空白になった。
思い出せないことはないはずなのに。
あるはずだ。
自分の、名前が。
「……ルシェイド」
ぽつりと。
浮かんだ名前を、特に何も考えずに呟く。
声は初めて出したかのようにかすれていた。
子供のような少し高めの声。
ルヴィアはそれを聞いて笑んだ。
「そうか。ルシェイドは、どうして草原で倒れていたんだ? 見つけたとき、酷い怪我をしていたよ」
「……怪我?」
首をかしげると、ルヴィアは手を伸ばし、ルシェイドの手を取った。
その手には白い包帯が巻かれていた。
だから随分体が痛かったのかと、思う。
「……覚えてない?」
怪訝そうにルヴィアが聞く。
覚えていない。
最初の記憶は暗いこの部屋だったから。
「此処、は?」
ルシェイドが聞くと、ルヴィアは首をかしげた。
訝しげな表情。
「……此処は」
時間の感覚はすでに無い。
そこでふと、時間の数え方に疑問を持つ。
そもそも、此処はどこだろう。
疑問符に埋められた頭で周りを見ると、寝台の足元に近い所に青年がいた。
稲穂の様な金の髪は流れるように肩に落ち、紺色の衣服の上に光を落としている。
手には何かの書類。
真剣な表情で字面を追っている。
身を起こすと、彼はこちらに気付き、手に持った書類もそのままに立ち上がった。
「やぁ、起きた? と、まだ無理はしないほうが良い」
鈍く痛む胸に顔を顰めた途端、青年は気遣わしげに顔を歪めた。
問うように顔を向けると、手に持った書類を枕もとの机に置く。
「私の名前はルヴィア。君は北の草原で倒れている所を見つけてきたんだよ。……君の、名前は?」
「……ッ」
名前。
頭が一瞬空白になった。
思い出せないことはないはずなのに。
あるはずだ。
自分の、名前が。
「……ルシェイド」
ぽつりと。
浮かんだ名前を、特に何も考えずに呟く。
声は初めて出したかのようにかすれていた。
子供のような少し高めの声。
ルヴィアはそれを聞いて笑んだ。
「そうか。ルシェイドは、どうして草原で倒れていたんだ? 見つけたとき、酷い怪我をしていたよ」
「……怪我?」
首をかしげると、ルヴィアは手を伸ばし、ルシェイドの手を取った。
その手には白い包帯が巻かれていた。
だから随分体が痛かったのかと、思う。
「……覚えてない?」
怪訝そうにルヴィアが聞く。
覚えていない。
最初の記憶は暗いこの部屋だったから。
「此処、は?」
ルシェイドが聞くと、ルヴィアは首をかしげた。
訝しげな表情。
「……此処は」
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管理者:西(逆凪)、または沖縞
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