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2024/05/22 (Wed)
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2012/02/05 (Sun)
 石が割れる。

 それがどういう意味を持つのか。
 この時点ですべてわかっている人物はほとんどいなかった。

 カタン、と音がして、薄暗い建物の影からひとつの人影が現われた。
 ウェーブの髪を背に流し、ふらりと歩いている。

 そこは中央の大地。
 国主アンスリウムが治める国、メディウム・トゥッリスの塔の中。

 幾枚もの薄布が天井から垂れ下がる場所を、彼女は迷うことなく歩く。

 国主の付き人である彼女にとって、この塔の中は庭のようなものだ。
 ほんのかすかな衣擦れの音しかしない空間の中で、つと、彼女は足を止めた。

 目の前には大きな扉。
 身長の4倍はあろうかというそれは、彼女が軽く触れるだけで開いた。

「……アザミか」

 奥から聞こえる深い声に、彼女、アザミは部屋の中に入った。
 背後で扉が閉まる。
「思うように運びませんわ。……アンスリウム様」
「良いよ。期待はしていなかった」
 アンスリウムは大して面白くもなさそうに笑った。
 暗く、低い、笑い声。
「どのみち、落ちるのは時間の問題だ……」





 その時突然地震があった。

 家具が倒れ、お茶の入ったカップが床に落ちる。
 サキはレイラを庇い机の下に隠れ、その地震をやり過ごした。
 時間的には10分もなかっただろう。けれどその地震のせいで、かなりの被害が出たことはたしかだった。
 そのことを思い、ため息をついて机から出る。

「怪我は、ないか?」
「大丈夫です……。大きかったですね」

「ああ、何か、いやな予感がする」
2012/02/05 (Sun)
 地震よりも少し前、炎の国メリーディエース。

 国主ユゥアは、付き人アールドルと共に街に下りていた。

「相変わらずにぎやかだね!」
「まあ、国主があんただからね」
「言うじゃないか」
「言わないとわかんないでしょうが」
 言い争いのような感じで、けれど親しみのこもった口調で話すふたりに、街の皆が挨拶をしていく。

「やぁ。あとで、持っていくかい?」

 店においてある果物を手に、初老の人が話し掛ける。
 気のいい果物屋だ。

「ああ、じゃあ帰りに寄らせてもらうよ!」
 元気に答えて、ユゥアは片手を挙げる。

「安請け負いしないでよ……それで荷物重くなったらどうすんの」
「あたしは自分に正直に生きてんだ!」
「や、それはわかってるんだけど」
「じゃあ諦めなって」
 明るく笑ったユゥアに、アールドルは疲れたように笑った。




 柱が崩れた。

 何の前触れもなかった。
 逃げる暇さえも。

 地面が揺れた。
 体が一瞬浮くほどに強く。
 その後すぐに地面が裂けた。

 崩れる大地。人や建物はまるでゴミか何かのように簡単に落ちていった。
 人々の悲鳴は長く、けれどそれ以上に建物や大地の裂ける音でかき消されていった。

 崩壊はそんなに長い時間、かからなかった。
 ほとんど時間をかけずに、すべては青く光る海に飲み込まれた。


 長く存在していた拮抗が、崩れ始めていた。
 この時点から、南の大地は永遠に消えうせた。
2012/02/05 (Sun)
「赤い石が落ちた」

「予定通り、ですか?」
「いや……。どうかな……」




「誰ぞ、おらんのか」

 聞こえてきた高い声に、サキは顔を上げた。
「私が行ってきます」
 駆け足でレイラが部屋から出て行く。
 それを見送ってから、倒れた家具をもとにもどすため床に落ちた本の束を拾い始める。
 棚を見て、ひとりでは到底無理そうなことに気づく。
 どうしようと考えていると、戸口から声が聞こえた。

「うわ、何だこれ」
「……ラクス?」
 サキは部屋に入ってきた人物を不思議そうに見つめ返す。
 落ちた本を踏まないように注意深くサキの傍まで来ると、片眉をあげて問い掛ける。
「酷いありさまじゃねぇか。強盗でも入ったのか?」
「入ってないよ……地震があっただけだから」
「さっきのやつか? そんなに酷かったかな」
 首を傾げながら、ラクスは床に落ちている本を拾う。

「ところで、どうかしたのか?」
「俺は何があんのか知らねぇ。詳しくはあいつに聞いてくれ」
「あいつ?」
 問い返したときにちょうどレイラが戻ってきた。
 傍らにひとりの少女を連れている。
 水の国主だ。
 身長はレイラの胸のあたりまでしかない。
 手を引かれなければ歩けない。

 盲目の国主、ヒウリ。

 彼女はこちらに顔を向けると、皮肉げに口元を歪める。
「何じゃ、せっかく会ったのに、挨拶もなしかぇ?」
「いや、……久しぶりだったから」
「挨拶なんかどうだっていいじゃねぇか。用件あんだろ?」
「ほんに口が悪いの。ここはセプテントゥリオーではない。少しは慎んだらどうじゃ」
「どうでもいいって言ってんじゃねぇか……」
「ほほ。それで、用件というのはの、メリーディエースのことなんじゃが……」
 ぼやくラクスを無視して、ヒウリはサキに向き直る。

「どうか、したのか?」

「ふむ……? おんしは知らんかったのかぇ? 彼の国は落ちた」

 一瞬、時間が止まったように感じた。
2012/02/05 (Sun)
 ぐらりと、足元が揺れたように感じた。

「サキ様!」
 レイラがすばやく支える。

 震える唇で、サキが問う。
「それは、どういう……」
「そのままじゃ。そうじゃの。さっきの地震……。崩れたのは、あれの所為じゃな」
「そんな……!」
「意外じゃったかの?」
 見えぬ目を正確にサキに向け、ヒウリが言う。

「意外だろうよ。いきなりそんなこと言われちゃあな」
「ふむ。では何と言えばよかった?」
「だからもう少しソフトに……」
「それはどういうと、聞いておるのじゃ」
 口ごもってしまったラクスにため息をつく。
 その目が閉じられたままなのに、こちらを強く射抜く視線を感じる。

 居心地の悪さを感じつつも、告げられたことのほうが衝撃が大きい。
「サキ。どう感じようと、これは事実じゃ。起こってしもうたことはどうしようもない」
「……ユゥアは……」
「アールドルたち民と共に落ちたようじゃな」
「そんな……ことが……」

 信じられなかった。
 ミカゲにも、言われたばかりだったけれど。

 占者の予言。
 赤い石が、割れると。

 それが、こんな意味を持つなんて。

「信じようと信じまいと、すでにそれは起こっておる。しっかりせい」

『この世界は滅びる』

「この世界が、滅びるのか……?」
「何じゃと?」
 ふと思い出した言葉を、口の端に乗せる。
「世界が、滅びると、言われたんだ」

 少年の。
 言葉が頭を回る。

「おんしは何のことを言うておるのじゃ?」
 ヒウリが怪訝そうに眉をひそめる。
 じっと彼女を見たまま、サキは言葉をつむぐ。
「人間たちのせいで、滅びると……」

 愚かなとは言わなかった。
 言えなかった。
 愚かしくも、それが人間だとは思うから。
 思ってしまうから。

 ヒウリはため息をついて、肩をすくめた。
「そうじゃな。形あるものはいつかなくなる。それと同じ理屈じゃろうな」
「そんなのんきに言える事なのかよ!」
「仕方なかろう。言うても詮無きことじゃ」
「宝玉は柱と共に。そうも言っていた。どういう意味だろう?」
 どこか不安定な眼差しで、サキが問いかける。
「それを破った故に、彼の国が滅びたというのかぇ? ……そんなことを言うたら、他の国も遠からず滅びるの」
 その時レイラが良い香りのお茶を持って現われた。
 少し前に姿が見えなくなっていたが、どうやらお茶を入れてきたらしい。
「お話はこちらの部屋でなさいませんか? そこは酷いので」
2012/02/05 (Sun)
「次に崩れるとしたら、オリエーンスじゃろうな」
 お茶を飲みながら、ヒウリが不意に呟く。
「何でわかるんだよ」
「占者の力、と言うておこうかの」
「はぐらかすか」
 ラクスの言うことに笑って答え、サキに顔を向ける。
「それを、回避することは」
「無理じゃな」
 きっぱりと。
 反論を口にする余地もないほどに。

「あの国もそろそろ駄目じゃろう」
 相次ぐ災難に、国の民は疲弊しきっていると。
 それに耐えられるだけの。
 力が、もう。
「何とか、ならないのか……!」
「まずおんしは自分の国のことをどうにかすることじゃな。今のところこの国が最も災厄からは遠い。じゃが、それに自惚れんことじゃ」

「どういう……」
 ヒウリはふと息をついて、額に手を当てた。
「わからんか? この気候が。頬にあたる風が。……こんなにも澄んでおるのはもうここだけじゃろう」
「うちらの国でさえもう風が吹かないからな」
「風が、吹かないだって?」
 驚いた声をあげるサキに、水の国のふたりが頷く。
「水さえもだんだん濁ってきやがった。……水の国とまで言われた国の水が……!!」
 憎々しげに吐き捨てるラクスに顔を向け、ヒウリが口を開く。
「すでに世界を支えることができなくなっておるのじゃ。どの大地もそうじゃろう。ただ、中央はどうだかわからんがな」
 神がいるという。
 中央の。

 言葉に含まれた感情に気づかず、サキが歯を食いしばる。
「どうにも、ならないのか!? もう手遅れだなんて……!」
「生き残る、術はあるのやも知れぬ。じゃが、それがわからん」
「せめて、街のみんなだけでも……」
「住む大地がなくてどうやって生き残るつもりじゃ」
 ヒウリの言葉に息を飲む。

 そのことも、考えないではなかった。
 けれど、どうしたらいいのか。

 サキにはまだわからない。
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