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2012/02/05 (Sun)
 それから数日は特に何事もなく過ぎた。

 珍しく雨の降った日。

 もうそろそろ咲きそうだった花を見に、山の麓まで行く。
 希少な花で、雨の日にしか咲かない。
 咲きそうでも雨が降らなければ、そのまま枯れるだけの、花だ。
 目当ての花を見つけ、花びらを3枚、掴み取る。
 丁寧に小さな布に包み、懐にしまった。

 ふと顔を上げると、近くに雷が落ちた。
 揺れる地面に顔をしかめると、戻るためにきびすを返す。

 町に行く途中。
 豪雨のためにぼんやりと人影が見える。
「?」
 見慣れない姿。
 その人影が判別できるようになったところで、ぎくりと足を止めた。
 雨に濡れそぼった姿は、昔見たままの。
 ふいに彼はこちらを見た。
 違和感のある笑顔。

「兄上……!」
「……ロウ……」

 苦しげに声を出すが、雨の音に紛れて向こうには届かなかったようだ。
「迎えにきました、兄上。……ぼくと一緒に帰りましょう」
 変わらない笑顔。けれど子供のころとは明らかに違う。
 歪んだ顔。
 張り付いた笑顔。
 声だけは代わらずにそのまま。

「……私は、帰らない」

 きつく睨みつけるように言うと、ロウは笑っていた口を閉じた。
「では、死んでくれますか?」
「ごめんこうむる」
「どうしてです」
 本当にわからないというように首を傾げる。
 頬に当たる雨も、滴る水の重さも気にはならないかのように。

「……帰れ」

「兄上も一緒でなければいやです」
 頑固に言い張る。

 その矛盾に気づかずに。

「お前は……どうして私に死んでほしいんだ?」
 ロウはその言葉に一瞬動きを止めた。
 空白。
 そう言って良いほどの虚無が、顔を覗かせた。
「貴方がいなくなれば、ぼくが領主……に……」
「それが、お前の望みなのか。……本当に」
「……違う……ぼくは、兄上と……」
 混乱。
 しているのか。
 虚ろな目を向けられ、肌があわ立つ。
 雨の寒さではないもので。
「何が……何があったんだ……」

『殺してしまいなさい。そうすれば貴方の望みは叶う』

 雨の中、消えそうになりながらも響いた声。
 艶のある、女の。

「誰だ……!」
 女の声を反芻しているのか、ロウは口の中で何かを呟く。
「……死んでください、兄上……。そうすれば、ぼくは救われるんだ」
 救われる。

 何から?

「……やめろ……」
 ロウは腰に佩いていた剣を引き抜く。
 シャン、と音を立てて、切っ先が向けられる。

 表情のない顔で、踏み切ってくる。
 勝つわけにも、負けるわけにもいかない。

 どうすれば。
 常に持ち歩く護身用の短剣で、ロウの攻撃を捌いていく。
 動きがバラバラで統一性がない。
 少なくとも、剣の腕はそこそこあったはずなのに。
(ここまで、弱かったのか――……)
 ためしに、とばかりに踏み込んでみる。
 剣と剣がぶつかり合う。
 途端、バランスを崩したロウは地面に膝を突く。

 見上げた彼と、見下ろした自分と。

 目があった気がした。
 殺してくれと。

 言われた気がした。
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