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2024/11/22 (Fri)
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2012/04/02 (Mon)
 明るい外から中へ入ると、殆ど真っ暗に感じられて暫く見えなかった。
 少し待つと扉が開いているのが見え、皆でそちらに移動した。

「……」
 小さく、囁く声が聞こえる。
 内容は良く聞こえない。
 ディリクとレインが話をしているのだということは分かったので、室内に足を踏み入れる。
「何でオレ此処にいるの?」
 訝しげなレインの声。
 見ると、ベッドの上に上半身を起こしていた。
 その傍らに、ディリクが立っている。
「毒の治療だ」
「毒?」
 いまいち分かっていないレインの言葉に脱力感を覚えつつ、ディリクの傍らに近寄った。

「あ、ルベアー。どうかしたの?」
「……あのな。貴葉石樹の毒にやられたから此処まで運んだんだ」
「そうだったんだ。……そっちの人は?」
 変わったところは無い。
 いつもの彼だ。
 そのレインは、首を傾げてルベアの後ろを見ていた。
「思い出せない?」
 ヴィオルウスが静かに問う。
 そのままの姿勢で、レインが遠い目になる。
「覚えて、無い」
 難しい顔でレインが俯く。
「……本人連れてきた方が良いんじゃね?」
 アィルがぼそりと呟いた。
「連れてきても治せるかどうか……ってアィル知ってたの?」
「居たから」
 小声で囁かれる会話を、レインが遮った。
「もしかしてオレの血縁者とか?」
「……何故?」
 慎重に、ヴィオルウスが聞く。
「んー、なんとなく。あと、似てるかなぁと思って」
 そう言って、レインは自分の髪を摘んで見せた。
「ルベア探し出せたんだね」
「……成り行きでな」
 舌打ちしたい衝動を堪えつつ答える。
「探してたの?」
 質問の矛先がルベアに来た。
「……あぁ。ルシェイドに言われてな」

「ルシェイドに、会ったのか?」
 唐突に、それまで黙って控えていたディリクが口を開いた。
 口調にただならぬものを感じ、気圧されながら頷く。
「何時だ」
「イーアリーサで、だから十日ほど前だな」
「……そうか」
 嘆息して、視線を落とすディリクに声をかけようとして口を開く。

「オレ記憶無いんだけど戻せるの?」
 だが、それはレインによって遮られた。
 気にしつつ、視線をヴィオルウスへ向ける。
 彼は少し戸惑っているように見返していた。
「出来ないの?」
 レインが不安そうに問う。
「ルシェイドは、何て言ってたの?」
 質問には答えず、ヴィオルウスは逆に問い返した。
「オレが心から望み、オレの関係者がそれを許せば戻るって」
「……やっぱり」
 ヴィオルウスが呟く。
 レインが眉を寄せた。
「何が?」
「……記憶とか、そういう繊細な魔法に長けているのは貴方なんだよ。レイン」
 僅かに眉を寄せ、ヴィオルウスがレインを見つめる。
「グラディウスは緻密な構成が出来ないし、私は、……破壊する方だから」
 最後は少し自嘲気味に。
 咎めるような眼差しで、アィルがヴィオルウスを一瞥する。
「そっか。じゃあどうすればいいんだろ」
 うーん、と考え込むように腕組みをして、レインが視線を落とす。
 オルカーンは成り行きを見守りながら、尻尾をぱたりと振った。
 ひょい、と顔を上げ、レインが首を傾げた。
「オレが記憶戻す術を知ってて、でも記憶がないから分からないってことかー。……関係者って、貴方だよね?」
 レインがヴィオルウスに問う。
「……血縁者では、あるよ」
「許すって、どういう……事……」
 語尾が掠れた。
 目は驚愕に見開かれている。
 その視線が自分に向いていることに気づいて、ルベアは怪訝そうに首をかしげた。

「どうし……」
 言葉は最後まで言えなかった。
 闇が、周囲を飲み込むように足元から広がっていく。
 驚愕の面持ちで、その場の全員が振り向く。

「――ルベアッ!」

 常には聞いたこともないようなレインの叫び声を最後に、視界は闇に包まれた。
2012/04/04 (Wed)
 その闇は、ルベアだけを飲み込んで跡形もなく消えた。
「……ッ」
 転がるようにレインがベッドから抜け出て、後を追おうとする。
「……止めろ!」
 止めたのは、ディリクだった。
 前へ進もうとするレインの腕を掴み、それ以上の前進を防ぐ。
「離……」
「駄目だ」
 容赦なく言い捨てる。
「今の……何だ?」
 まだ呆然とした声で、アィルが呟いた。
 レイン以外の視線が、ディリクに集まる。

 彼は暫くの逡巡の後、一言言った。
「虚ろだ」
「聞いたことがない」
 怪訝そうにアィルが言う。
「……虚ろなものを好み、喰らう。名前自体、まだはっきりとしていない。……暫く前に南の施設から出たやつだ」
 その言葉に、ヴィオルウスとオルカーンが身体を強張らせた。
「あ、んなの……が?」
 呆然とオルカーンが呟く。
「ルベア、は……?」
 弱々しい声で、レインが囁く。
 ディリクはそれには応えず、険しい表情でルベアが消えた跡を睨みつけていた。










 ずるり、と闇が沈む。
 見回してもあるのは暗闇ばかりで、踏みしめる感覚さえあやふやで、床すら消えてなくなったようだった。
 何処が前かすらわからない。
 ため息を吐きながら、歩を進めようと身体を動かす。
 途端、ずしりと肩に重い衝撃があった。

「お前の虚は美味そうだなァ」

 絡み付くような声が響く。
 耳元、から。

「!?」
 驚愕に身体ごと振り向きながら、剣を抜く。
 くすくすと、笑い声が周囲に散った。
「俺はそんなものでは斬れないなァ」
 声は反響しているかのように遠く、近く、場所が特定できない。
「誰だ」
 鋭く周囲に問いかける。
 一歩踏み出そうとして、違和感に気づく。
 重い。
 周囲の闇に圧し掛かられるように、身体が重く感じた。
 構えた剣の切っ先が下がっていく。
 気力が、削り取られていく。
 がくりと膝を突いた。
 重さに比例して、笑い声が大きくなっていっている。
 何が。
 これ程に重いのか。
「……く……」
 ぎり、と歯をかみ締める。
 それでも、重さは軽減されない。
 ゆっくりと、身体が傾ぐ。
 どこが床か分からない。
 けれど。
 ルベアはその場で、崩れるように倒れた。
 その周囲から、闇がまるで生き物のように倒れた身体へと群がった。
 ゆるく目を開いたまま、彼は投げ出された手が闇に飲まれて見えなくなっていくのを見ていた。
2012/04/05 (Thu)
 ぐ、と腕に力を込めて、彼は拘束を振り払った。
「レイン!」
 咎めるようにディリクが短く叫ぶ。
「対処法は、無いの?」
 視線は床から離れないまま、レインが硬い声で聞いた。
 一拍おいてからディリクが答える。
「無い。出現自体が稀で、すぐに異空間に転移するから補足が困難なんだ」
「魔法で倒すとか」
 オルカーンが視線を上げて問う。
 平静に見えるが、全身が緊張しているのが傍から見ても感じられた。
「……中に引きずり込まれた者を犠牲にする事になる」
 苦虫を噛み潰したような顔でディリクが囁く。
 レインはぎり、と歯噛みする。
 今の自分は、こんなにも無力だ。
 どうしたらいいだろう。
 どうすれば、彼が助けられるのか。
 沈黙は重く横たわり、それを破る術はない。
 ちらり、と視界の隅に青銀の髪が写る。
 半ば反射的にそちらを見ると、彼がじっとこちらを見ていた。
 何か言いたそうな、けれど僅かに眉をひそめて。
 どきり、とした。
 先程彼は何と言ったか。
 力技ではない、繊細なものならオレにできるんじゃないのか。
「ねぇ」
 声を掛けてから言葉を失う。
 そういえば名前を聞いていなかった。
「ヴィオルウス」
 察したのか、彼は短く言った。
「……ヴィオルウス。オレの力は、こいつからルベアを取り戻せるかな」
 唐突な問いはけれど予想されていたのか、驚いた気配は殆ど無かった。
 ヴィオルウスは一瞬躊躇った後、目を伏せて頷いた。
「それならオレの記憶の戻し方を教えて」
 深呼吸をして、言う。
「……オレは、ルベアが死ぬのは嫌だ」
 静かに、けれどきっぱりと言い切ったレインをじっと見つめて、ヴィオルウスはため息をついた。
「わかった。……でも、上手くいくかは君次第だからね」
 こくり、とレインが頷くと、ディリクが一歩を踏み出した。
「私も手伝おう」
 その言葉に、ヴィオルウスが少し安堵したように頷いた。
「少し……荒業になるかもしれないよ」
「大丈夫」
「記憶よりも力を戻すことを優先させるからね」
 す、とヴィオルウスがレインの手をとる。
 ディリクが反対の手に触れる。
「ゆっくりと呼吸をして……私の力に逆らわないで」
 オルカーンがぱたりと尻尾を振りながら、レイン達と床を見つめている。
 やることが無いからか、アィルは口出しもせず壁に寄りかかったまま皆を見ていた。

 不意にレインは自分の意識に、重い塊が流れ込んできたのに気づいた。
 押し流されそうになりながら、受け流そうともがく。
 まるで泥の中を泳ぐような感触だ。
 きつく目を瞑って耐えていると、ディリクが強く手を握り締めてきた。
 途端、楽に立てるようになった。
 重い塊はまだあるけれど、泥ではなくさらりとした砂になったかのようだった。
 ゆっくりと目を開ける。
 その時、自分が目を閉じていたことに気づいた。
 床の上に視線を移すと、酷く不自然な歪があるのが見えた。
 何も考えられず、ただ本能のままに其処へ意識を向ける。
 歪に触れ、力任せに押すと、パキリと乾いた音が響いた。
 何も無い空間に、ひびが入っている。
 構わずにそのまま押すと、ひびはさらに広がり、僅かな隙間が開いた。
 漏れ出るのは黒い闇。
 背筋が震えるような本能的な恐怖を振り切って、レインの意識はその中に飛び込んだ。

「オルカーン!」
 ディリクが鋭く叫ぶ。
 耳をそばだて、オルカーンは身構えて次の言葉を待つ。
「レインの意識が行った。追えるな?」
 オルカーンは返事の代わりに身を翻した。
 躊躇なく闇の中へと潜っていく。
 ヴィオルウスとディリクはレインの手を掴んだまま、その闇をじっと見つめていた。
2012/04/06 (Fri)
 暗い。
 上下左右の無い暗闇で、レインは首をめぐらせた。
 何も見えない。
 けれど。
 何だろう。
 この感じ。
 両の手のひらから暖かいものが流れてくる。
 それに力づけられながら、レインは暗闇を彷徨う。

『レイン』
 耳慣れた、嗄れ声に呼ばれて振り返る。
 少し反響はしていたけれど、それが背後から響くものだと分かった。
 後ろからはオルカーンが走ってきた。
 どうやって入ってきたんだろうこの暗闇に。
 首をかしげながら、けれど気配に偽りは無い。
『早く、探そう。長く居るのは良くない気がする』
 オルカーンの言葉に同意して、改めて周りを見回す。
 闇は相変わらず深い。

 ――何処へ、行けば良い。

 必死に目を凝らす。
 見えるのは闇ばかりだ。
 その時不意にオルカーンが顔を上げた。
 何かを探るように耳を傾ける。

 ――どうしたの?

『向こう……だと思うんだけど、……変な感じがする』
 少し忌まわしげに鼻を鳴らし、伺うようにレインを見上げる。
『行く?』

 ――行くよ。他に、ないでしょ?

 それもそうだと、オルカーンが妙に人間くさい動作で首をすくめた。
 レインは走るというよりも飛ぶように闇を進んでいく。
 そのすぐ傍らを、オルカーンが付き添った。
 どのくらい進んだのかは判然としなかったが、そんなに長い時間は移動していないと感じていた。
 前方で、闇が揺れた。
 歩調を緩め、目を凝らす。
 足元と思しき辺りに、黒い何かの塊が見えた。
 先に、オルカーンが走り出す。
 そのものが見えたとき、レインも速度を上げた。

 ――ルベアッ!!

 声はほとんど響かないので闇が震えることは無かったが、悲鳴じみたそれはその場に居る者の意識に響いた。
 塊は探していた人影。
 けれど、それはぴくりとも動かなかった。
 先にたどり着いたオルカーンが、纏わりつく闇を蹴散らすように牙を剥いて唸り、虚空に爪を立てた。
 追いついたレインがぐったりとした身体を揺すろうと肩に手を伸ばし、息を呑んだ。
 これは本当に彼なのだろうか。
 きつかった眼差しは虚ろに開かれ、意識はまったく感じられない。
 まさか、と思った。
 けれどそれは一瞬で、すぐに息があることに気づいた。
 気を失っているのか。
 それとも、『喰われた』か。
2012/04/06 (Fri)
 思考は、オルカーンの唸り声で途切れた。
 はっとして振り返る。
 凝ったような闇が、其処に在った。

 ――……何?

 半ば混乱した頭で呟く。
 ずるり、とその闇は黒色の獣を吐き出した。
 開かれた獣の目を見て、レインは意識が途切れそうになった。
 周囲を睨みつけるかのような、赤い目。
 その獣からは容赦なく憤怒の感情が向けられている。
 けれど、何故だろう。

 どうして、これがルベアに似てるなんて思ってしまうんだろう!

『レインッ! 呑まれるな!』
 オルカーンの鋭い声が飛ぶ。
 レインははっとして、どきどきする心臓を押さえた。
 そうだ、違う。
 これは彼ではない!
 確信と共に自分に言い聞かせた途端、獣の姿は薄れ、拡散するように闇へと溶けた。

「何だよォ。俺の、邪魔をすんのかァ?」
 どこか、間延びした声が響く。

 ぎくりとして目を凝らすと、獣が消えた辺りにぼんやりと何かが形作られようとしていた。
『レイン、あんなのに構うな。早く行こう』
 静かに言われたことに、レインが驚いてオルカーンへ視線を向ける。
 オルカーンは呆れたような視線を向けて言った。
『何しに此処へ来たか忘れたの? この中じゃこっちが不利なんだよ』

 ――そ、そうだね……。

 レインは慌てて頷くと、ルベアの身体を引っ張った。
 力を失った身体はぐったりとして、重い。
 ふと、視界の隅できらりと何かが光った。

 ――?

 不思議に思って、目を凝らす。
 それは何かの糸のようだった。
 見落としそうなほどに細い糸が、微かに光を放ちながら其処にあった。
 良く見れば、それはルベアの身体から目の前の闇へと繋がっているようだった。
『レイン! 何やって……』
 オルカーンが腹立たしげに振り返る。
 瞬間、何かに突き動かされるようにその糸を引っ張っていた。
 するすると殆ど抵抗を感じずに手繰り寄せられる。
 これが何を意味しているのか分かっていなかった。
 けれど、ほんの微かに抵抗を感じた時、闇が動揺するように揺れた。
「何してるんだよ……。お前ェ!」
 苛立たしげな声に、思わず肩がぴくりと揺れた。
 けれど糸は離さない。
 引き寄せた糸は撓むことなく、吸い込まれるようにルベアの中に消えていく。
 闇はそれ以上近づいてこない。

 否。
 近づけないのだ。

 守るように、遮るようにオルカーンが間に立っている。
 その身体からは、他を圧倒するほどの覇気が溢れていた。
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